「原材料こだわり」珍しい食酢・日本酒の蔵元に “逆ばかり営業”で販路拡大

和歌山発 輝く
たくさんの木桶が並ぶ圧巻の酢蔵の風景=和歌山県紀の川市

 酢や日本酒の醸造などを手掛ける「九重雜賀(ここのえさいか)」(和歌山県紀の川市)。敷地内にある蒸し蒸しした酢蔵の中には、約40樽の木桶がずらり。正面奥には酒蔵があり、中は涼しい。現在、製造している商品は約7割が酢で、酒と梅酒が各約1.5割といった比率という。

 酒米「山田錦」で造った純米大吟醸の酒粕(さけかす)を使った「吟醸酢」や、ユニークなネーミングで使い方が分かるようにした万能だし酢「お手間とらせ酢」、日本酒では全日本空輸(ANA)の国際線ファーストクラスとビジネスクラスで提供されたことがある「純米吟醸 雑賀」などを世に送り出してきた。

 原材料から一貫生産

 創業は1908年。雜賀俊光社長の曾祖父、豊吉氏が和歌山市内で食酢の製造販売を始めた。酢の中でも「赤酢」と呼ばれる酒粕を原料とした酢である。

 「より良い食酢を造るには主原材料である酒粕から一貫して造るべき」そして「食事に合う日本酒を造りたい」。

 創業者のそうした考えから34年には、日本酒造りも展開するようになった。酢と日本酒をともに造る蔵元は全国的にも珍しい。

 雜賀社長は上京後、東京都内の高校、大学を卒業し、サントリーに入社。銀座で営業を担当する一方、プロボクサーでもあったという異色の経歴の持ち主。そして、家業を継ぐため、和歌山へ。営業で県内の酒販店を回ると、「酢屋で造った酒は酸っぱいだろう」と言われた。「以前から酢は市内でもダントツに売れていたが、日本酒の売れ行きは下から数えた方が早かった。だから日本酒を売り出すには外へ出るしかなかった」と、雜賀社長は振り返る。そのため、販路を開拓しようと、再び上京した。

 “点”を“面”に

 「和歌山から来たお酒とお酢を持って歩いている人がいる」「だったら、うちへ来いと伝えて」

 酒販店に紹介されて訪れた銀座の有名天ぷら店の料理長が和歌山県出身だった。その関係で複数の料理人と知り合いになり、酢と日本酒を売り込んだ。その後、注文を聞いたうえで、出入りの酒販店を教えてもらった。出先が決まれば酒販店も扱ってくれる。

 ある程度まとまったら、今度は問屋へ-。「点を線にして、面にしていった。まともに問屋さんに営業に行っても、まず買ってくれないので。水は上から下にしか流れないが、逆ばかりの営業を続けていった」と雜賀社長。通常とは逆のルートの営業が当たり、販路を拡大していった。

 現在、酢や酒は米国やフランス、中国など海外約20カ国で流通している。「持論だが、高度成長期にある国の方が酒の人気が高く、流通しやすい。まさに今の中国がそうで、酒を振る舞えることが富の象徴のように思える。そしてその後は、健康がテーマに切り替わってくるような気がする」。実際、欧州連合(EU)諸国では酢の取引が多く、化学調味料などを使っていない点が評価されているという。

 「経営者は体力勝負」。両親から受け継いだ強靱(きょうじん)な体とボクシングで鍛えた精神力、人当たりの良さで国内外を営業に回る。営業は流行をつかみ、新商品開発にもつながるからだ。

 「環境に適応した者が生き残る」と考えるが、流行ばかり追い求めてもいけない。「その見極めも社長の仕事」と語った。(山田淳史)

【会社概要】九重雜賀

 ▽本社=和歌山県紀の川市桃山町元142-1 ((電)0736・66・3160)

 ▽設立=2006年1月

 ▽資本金=4000万円

 ▽従業員=14人

 ▽事業内容=食酢、食酢関連商品、日本酒、リキュール、雑酒、その他の醸造酒、清涼飲料水の製造販売、食品の製造販売

 □雜賀俊光社長

 ■「耐えて勝つこと」に挑戦し続ける

 --心掛けていることは

 「私が採用したスタッフは退職するまで、私の仕事であり、私の責任だということ。そしてスタッフのお子さんが『お父さんやお母さんのような仕事がしたい』と、将来はうちの会社に入りたいと思ってくれたら、社長としてやってきたことが認められると思っている」

 --ボクシングをはじめ、スポーツの経験が生きている

 「バスケットボール部に所属していた高校時代は『耐えること』を学んだ。アマチュアボクサーのときは『耐えて何かをすること』を教わった。プロボクサーになって、『耐えて(リングに上がって)負けないこと』を教えてもらった。いま社長をしているが、『耐えて勝つこと』に挑戦し続けていると思っている。負けてしまったら会社がなくなり、家族やスタッフらの居場所がなくなる。だから絶対に勝たなければならない」

 --トレーナーにも影響を受けた

 「人間には得手不得手がある。私のトレーナーは得手をすごく伸ばしてくれた人だった。トレーナーがいなかったらプロボクサーを続けられなかったと思う。うちのスタッフにも、できるだけ得手を伸ばして、彼らが表現できることを表現させてあげたい。人間、認められたいという欲求がすごく大きいと思う。外部からも『あの日本酒を造っている誰々さん、すごいよね』と認めていただける環境を作りたい。そのため、営業はこれまで営業担当がしていたが、最近では造り手にも一緒に行ってもらっている」

 --今後の展望は

 「人口減の地域に無理をしても仕方がないので、市場はこれからも東京が中心になるだろう。しかし、和歌山の食文化に支えられてここまでこられたからこそ、今がある。私たちの商品の原材料を栽培してくれている県内の農家と一緒になって、和歌山の食文化を国内外に発信していきたい」

【プロフィル】雜賀俊光

 さいか・としみつ 明大政経卒。サントリーに入社し、営業を担当。家業を継ぐため、1993年、和歌山に戻った。2006年から現職で、社名を「九重雜賀」にした。49歳。和歌山県出身。

 ≪イチ押し!≫

 ■酒米「雄町」のうまみ最大限に

 「八咫烏(やたがらす)」がデザインされているラベルが印象的だ。「日本酒のラベルが絵というのは少ない」と雜賀社長。「日本酒を造る場合、香りを出したいならば、酒米は山田錦、お米のうまみをしっかりと出したいならば、雄町を使う。まず結論を決めてからお酒の設計を決めるのがうちの造り方」と語る。

 イチオシのこの酒では酒米「雄町」を100%使用。岡山県産だ。アルコール度数は16度。

 雜賀社長は「私が大好きな雄町という酒米のうまみを最大限に生かそうとした。食事と一緒に楽しめる純米大吟醸。冷やしてもお燗(かん)にしても、楽しめるお酒に仕上がっている」とアピールする。

 価格は1本1.8リットル入りが3700円、720ミリリットル入りが1850円(いずれも税別)。