一方、大田区の中小企業が13年秋に完成させた「下町ボブスレー」2号機は、日本ボブスレー・リュージュ・スケルトン連盟の改善要望に懸命に対応したものの、同連盟が「シーズン日程が過密でテスト滑走の時間がない」と判断。目指していたソチ五輪での採用は見送られた。
プロジェクト推進委員会の細貝淳一委員長(マテリアル社長)は「改良したそりを試す機会がないまま不採用となったのは残念」と無念さを隠さず、製作に加わった約70社のメンバーもショックを受けたが、すぐに目標を平昌五輪に切り替えた。
プロジェクトは11年11月に始まり、12年12月には初の国産そりとなる1号機がデビュー。13年5月には2号機、3号機の開発を決め、9月末には組み立てを終えるなど息をつく間もなく突き進んできた。試作品など「一品もの」と「短納期」に強みを持つ町工場の底力がいかんなく発揮されてきた。
改良を施した2、3号機と1号機は13年末に長野市で開かれた全日本選手権に参戦。2号機は見事、2位に入った。「五輪の夢はあきらめない」(細貝氏)
日本の技術力を支える町工場の挑戦は東京、大阪だけではなく、全国に広がるに違いない。 (松村信仁)