【未来への伝言】森田富治郎・第一生命保険特別顧問(中) (1/3ページ)

2014.7.22 05:00

第一生命ベトナムの現地スタッフと。海外市場の開拓にも積極的に取り組んだ=2007年

第一生命ベトナムの現地スタッフと。海外市場の開拓にも積極的に取り組んだ=2007年【拡大】

 ■生き残りへ品質向上と海外進出

 ◆押し寄せる不況の波

 ≪1989年12月29日。日経平均株価は史上最高値を記録した。その翌年の4月。当時の櫻井孝頴(たかひで)社長に命じられ運用企画部長に就いた。しかし、日本経済はすでに変調をきたしていた≫

 「私が就任した日はピーク時から1万900円も消えていた。その後に反転し夏場には3万3000円まで戻したが、7月には湾岸戦争が勃発して本当に暴落。翌年からは不動産が暴落。経営収支が急激に悪化し、大変厳しい決算を強いられるようになった。それまで株や不動産をのびのびと購入し、貸し付けを行っていたが、不良債権処理や運用ルールの変更などに追いまくられるようになる。本当にきつかった。妻が言うには、このときの人相が過去最悪だったという。連日、帰宅は深夜。愛犬のシバイヌだけが迎えにでてくれ、ぺろっと顔をなめてくれた」

 ≪アジア通貨危機が火を噴いた97年。森田さんは社長に就任する≫

 「それまでの一連のバブル処理は大変だったが、後から振り返ると火消しの内容も『ぼや程度』だったのかなと思う。97年からは本当の大火事に見舞われた。私が就任した4月には、日産生命保険が経営破綻。以後、4年間で7社の生命保険会社が倒産した。銀行・証券業界にも激震が走り、三洋証券、山一証券、北海道拓殖銀行が倒産。翌年の98年には日本長期信用銀行(現新生銀行)と日本債券信用銀行(現あおぞら銀行)も破綻する。いずれも弊社が大株主だった」

 ≪金融業界だけではなく、他業界にも不況の波は押し寄せていった≫

 「生産年齢人口は95年にピークを記録し、翌年からマイナスに転じた。百貨店やスーパーの売上高、新車販売などの実績も同様に転がり始めた。97年には保険業界に衝撃が走った。全体の保有契約高が減少に転じたからだ」

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