塚原夫妻、なかんずく千恵子監督は創部以来、コーチ、監督として朝日生命体操クラブ、体操教室の運営、発展に情熱をもって尽力してきた。しかし、最初の頃は「子育てをしながら体操の指導をするという生活は大変だった。やめようと思ったこともあった。だけど、やめられなかったのは、自分自身が選手として中途半端だったという思いがあったからだ。今度は国際的な選手を育てたい、それまではやめられない、と思っていた」と千恵子監督は振り返る。
海外からコーチを招聘(しょうへい)するなどして、世界レベルの選手強化策を進め、ぐんぐんと選手層を厚くし、レベルアップを図っていった。全日本選手権大会に上位入賞を果たせるようになるとともに、オリンピックではロサンゼルス(1984年)に女子5人、ソウル(88年)に女子6人、バルセロナ(92年)に女子3人、アトランタ(96年)に男子1人、女子4人、シドニー(2000年)に男子1人をそれぞれ輩出するという大きな成果を上げてきたのだ。「朝日生命といえば体操」のイメージを作り上げた功労者は千恵子監督と言っても過言ではない。
◆主力選手の若年齢化強化
監督に就任してすぐ後のモントリオールオリンピックで、わずか14歳のナディア・コマネチ(ルーマニア)が金メダルを取ったことを目の当たりにして、日本も女子体操の若年齢からの強化を図っていかなくてはならないと痛感し、主力選手の若年齢化を進めた。それには生徒・児童を対象とした「体操教室」の強化・充実が近道でもあった。そうした努力が朝日生命本社でも高く評価され、企業のスポーツとして体操事業は継続され、その後のアテネ(2004年)、北京(08年)、ロンドン(12年)でも朝日生命体操クラブの選手が活躍してきた。