■安倍政権重要政策の象徴に
イラン・イラク戦争が激化していた1985年春、テヘラン国際空港の邦人200人あまりは重苦しい危機感にさいなまれていた。サダム・フセインによる、イラン上空を飛行する航空機への無差別攻撃の刻限が迫る。一刻も早くイランを脱出しなければならないが、自衛隊機は海外派遣が禁止され、民間航空も身動きがとれない。日本政府は必死に駆け回っているものの、愁眉は開けないようだった。
絶望の目線で見上げた虚空に、しかし、着陸体勢に入ろうかという1機の機影が見えた。「?」。次第に近づいてきたのはトルコ航空機だった。着陸した同機は直ちに邦人を救出し、安全なトルコに向かって飛び立った。
日本本国ですら手が出ない事態にどうしてトルコが手を差し伸べてくれたのか。同国政府関係者は笑顔で答えてくれたという。「エルトゥールル号の恩返しですよ」
◆紀州沖の救出劇
1890年9月、オスマン・パシャ提督率いるトルコ帝国海軍のエルトゥールル号は、紀州和歌山沖で暴風と激浪に翻弄されていた。明治天皇に拝謁した後、帰路を急ぐあまり折からの台風の中を出航したのだった。
強い風波がエルトゥールル号を岩礁にたたきつけた。同号はあっという間に浸水・沈没、提督以下600人近くが命を落とした。船外にほうり出された数十人の乗組員は大しけにもまれ、わずかの者が岸の灯台にたどりついて身ぶり手ぶりで遭難を伝えた。