手軽に楽しめることから親しまれ、国内に約900万人ものプレーヤーがいるとされる卓球。1950年代に世界大会で優勝者が出始めたことなどが契機となり、日本の“お家芸”ともいえるスポーツの一つとして発展してきた。
60年代になると、街中にはアミューズメント施設としての卓球場が増えた。卓球は、日本が世界に誇れる“競技種目”であるとともに、庶民の一大娯楽としても定着する。おのずと、卓球の裾野は広がった。
◆常に国内トップクラス
折しも日本は、54年に始まった「高度経済成長」の真っただ中。“東洋の奇跡”ともいわれた急成長を追い風に、学校や企業には次々と卓球部が創設されていった。競技者の層は厚みを増し、70年代まで日本の卓球は世界のトップクラスに君臨する。この間、シングルスでは計13人もの日本人選手が世界チャンピオンに輝いた。
日本生命保険女子卓球部も、こうした流れの中で誕生した。創部は1954年。今年60周年ということになる。
同部は創設以来、着実に実力をつけていく中で、実業団チームの強豪へと歩みを進めてきた。
一方、卓球を取り巻く情勢は80年代に入ると激変。中国が圧倒的な強さをみせつけ始める。五輪や世界選手権で延べ100人もの金メダリストを擁する中国の強さは現時点でも健在だ。
ただ、2000年代の半ばから、日本卓球には復権の兆しが見え始めた。日本生命女子卓球部は、その一翼を担っている。
同部は93年に日本リーグの団体戦で2位に浮上。以来、常に国内トップクラスの戦績を挙げてきた。2000年には、日本リーグの前期、同後期、全日本実業団選手権大会、全日本選手権大会(団体の部)という国内の四大大会全てで優勝。その後も07年に再び“グランドスラム”に輝く。