このため教育事業が俎上(そじょう)に載ることがあっても、藤田社長は「当社には合わない」「子供相手で責任が重いため、生半可な姿勢でやるべきものではない」といった理由で慎重な姿勢を示していた。しかし、今や社員規模が3000人の会社。社会貢献への取り組みも経営課題となるなど、事業を取り巻く社内環境は徐々に好転していた。
道村さんは会議後、日を改めてリベンジを図った。藤田社長に直談判できる機会が与えられたのだ。時間は30分。教育ビジネスの重要性と自らの信念を訴えた。これに対して藤田社長は、あらゆる角度から説き伏せにかかった。「信念で経営はできない」とまで言われた。しかし、最終的には会社の設立が認められた。「今思えば、厳しいやり取りを通じて覚悟が問われたのだろう」と振り返る。
利便性と安価両立
教育にこだわった理由は、父母・祖父母も学校の先生という一族で育ったことで、もともと教育に関心を抱いていたため。とくに何十年たっても変化がない授業の進め方については「変わらなければ」という思いを抱き続けていた。