勢いに乗り、76年、旧日本国有鉄道に売り込んだものの、「そんなに緩まないのなら保線区員の仕事がなくなる」と断られた。87年の国鉄民営化とJR発足。早速、若林社長はJR東海の本社を訪れ、絶対に緩まないナットの採用を呼びかけた。
JR東海は当初、防音壁を留めるためのナットとして採用した。振動が大きく、市販のナットではすぐに緩んでしまい、防音壁が外れる可能性があったためだ。その後、車体にも使われるようになった。
JR東海では100万キロを走行したら、全てのナットを交換することにしている。東京-新大阪が約500キロあり、3~5年ほどで100万キロに達する。完全な消耗品だ。金属疲労による事故を防ぐためだが、JR東海からは「ハードロック工業以外のナットは使えない」との評価を得る。その信頼度の高さは新幹線に限らず、明石海峡大橋や東京スカイツリーにも採用されたことからもうかがえる。極限までに安全、安心を求める鉄道の世界。その世界が日本の中小企業のものづくり力を高めてきたことは間違いない。(松村信仁)