【トップの素顔】大河原愛子(5)日系3世、女性アントレプレナーの挑戦 (1/2ページ)

2015.7.10 05:00

東京の自宅で家族らと。20代半ばで経営者となった(後列右)

東京の自宅で家族らと。20代半ばで経営者となった(後列右)【拡大】

 ■ピザ会社再建へ 飛び込み営業も

 1966年、父、比嘉悦雄が設立した冷凍ピザ販売会社のJ&C(ジェーアンドシー)カンパニーに専務として入社しました。

 本来は社長に就任すべきでしたが、若い、女性、外国人の3つのポイントで世の中からは信用されていませんでしたから。名義上の社長は父でしたが、私が事実上の経営責任者です。父は自分のビジネスが忙しく、経営に直接タッチすることはしませんでした。

 ◆富裕層に着目

 私がバトンを受けるまでの2年間は赤字続きです。早急に改善策を打たなくてはいけませんでした。まず、米国から輸入していたピザ生地(クラスト)を自社製造することにしました。

 東京・目黒に19坪の倉庫を借りてピザ工場を建設し、ピザクラストの製造を始め、具材をトッピングして販売しました。男性の工場長と女性パート12人、管理関係が2人くらいでスタートしました。ほとんど手作り。ピザの値段は7インチのチーズピザが170円。サラミがトッピングされているのは220円でした。高価な食べ物でした。

 64年に東京五輪、70年に大阪万博があり、海外からの旅行者が増えてきました。「いざなぎ景気」などと呼ばれるほど日本は高度経済成長期でしたが、ピザは高価だったことや、なじみがないこともあり、作っても簡単には売れませんでした。ライバル会社は消えてしまいました。

 しかし、早々に諦めるわけにはいきません。東京・青山に紀ノ国屋やユアーズという高級スーパーがあり、買い物客は外国人や海外経験のある富裕層に限られていたことに目を付けて、私が飛び込みのセールスをしました。ピザのサンプルを持っていき、懸命に説明しました。それも、下手な日本語で。

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