誰もが一度はお世話になったことのあるゴム製の「水枕」を日本で初めて作った浪華(なにわ)ゴム工業。現在は長年培った技術を生かし、医療用のゴムやプラスチック製品を作っている。人工透析などに使われるプラスチック製の血液浄化装置を世界で初めて作りあげるなど、日本らしい地道な努力で、新しいものづくりに挑み続けている。
◆事故きっかけに発想
1906年に初代社長の大島文之助が大阪市浪速区で創業(太平洋戦争で被災し、45年に奈良県大和高田市に移転)。当初は缶詰のパッキン部分を手がける個人商店だったが、07年に文之助が機械を操作中、誤って指を切断する事故に見舞われたことが転機に。治療を受ける中、「患部を冷やすことが重要では」と考え、ゴム製の水枕を日本で初めて作った。
商品化にこぎつけ、08年に発売すると、耐久性の高さから信頼を集め、18年ごろには流行したスペインかぜの影響で、病院だけでなく一般家庭でも「必需品」と飛ぶように売れたという。自身のけがをチャンスに変えた文之助の機転が、会社を大きく発展させた。
水枕の製法は発売から100年以上たつ今もほとんど変わらない昔ながらの方法。現在は売り上げ全体の1割未満だが、5代目の大島勲社長(63)は「水枕がなければ、会社は残っていなかったかもしれない。水枕製造で培った技術があるから今がある」と話す。
水枕製造で培ったゴムの加工技術を生かして参入したのが、医療用のゴム製品や部品の製造。現在は医療用チューブや医薬品の瓶のキャップ部分など、多数の製品を手がけている。昭和20~30年ごろには医療用プラスチック製品も製造を開始。今はこの2つが売り上げの9割近くを占める主力商品となっている。