このため、亀山工場を上回る世界最大規模といわれた新液晶パネル工場の誘致には、堺市や姫路市、岡山県倉敷市などが、それぞれ補助金など独自の優遇策を掲げて誘致合戦を繰り広げていた。その渦中で「姫路で最終調整」との報道に関係自治体は色めき立った。
ただ、最終的にシャープが建設地に選んだのは堺市だった。
選定理由について、会見で片山氏は「奈良県天理市の研究所や亀山工場と近い堺が適当だった」と述べた上で、「大阪に本社を有する企業として地域に貢献したかった」とも語った。
さらにシャープ元首脳は「亀山工場建設を検討していた時期には、大阪湾岸で大規模工場の新増設を事実上禁じた工場等制限法があった。それが平成14年に撤廃されたことで大阪での工場建設できるようになったことも大きい」と語った。
法的制約ががなくなったことで地元重視の姿勢を打ち出しやすくなったことも背景にある。