その後、自治体を巻き込んだ騒動を引き起こしたシャープの堺工場を皮肉な運命が待ち受けていた。稼働した21年には、前年のリーマン・ショックの影響でパネル需要が激減していたのだ。世界最大規模の生産能力をもてあまして大量の在庫を積み上げ、経営危機の元凶と言われた。
そしてシャープは24年、赤字を垂れ流していた堺工場に台湾・鴻海精密工業グループの出資を受け入れ、連結対象から外すことになった。さらに堺工場などへの巨額投資が招いた経営不振のため、台湾・鴻海(ホンハイ)精密工業傘下で再建を進めることになった。
シャープの絶頂期、自治体が雇用や税収アップの効果をあてこんで誘致に火花を散らした液晶パネル工場が、自主再建断念の原因となった。電機業界の盛衰の目まぐるしさと歴史の皮肉を思わざるをえない。