20年以上前から行われてきた隠蔽工作を、自分が社長になった途端糾弾することは人としてなかなかできない。長年世話になり尊敬してきた諸先輩の経歴と晩節をぶちこわす覚悟が果たしてできるだろうか? そう考えたのだ。
しかし調べが進む内に、これまで書いて来た様に、ありふれた不正問題では無いことが判明してきた。人命に関わり、かつ問題は現在進行形だったのだ。自動車メーカーとしてやるべきことをやらず、死亡事故が起こって後も、方法を自ら正そうとしなかったという人倫の問題だったのである。
もし自分の会社で組織ぐるみの不正が行われていたらどうするか?
人が営む企業だから、ミスや実力不足は起こり得る。自動車という製品であれば、時にそれは人命に関わる。リコール制度はそれを最小限にとどめるためにある。不具合を認めて改修を行うことでユーザーのリスクを減らし、メーカーに対しても製造責任の無謬性を求めないという血が通った制度なのだ。
例えば、リコールを行い、定められた手続きを踏んでいるにも関わらず改修に応じないユーザーがいた場合、事故の責任はユーザーにあるのだ。だから、仮に不幸にして人命が失われたとしても、欠陥を認め、きちんと対応したのであればどこまでも責任を求めるべきだとは思わない。