■社長交代「商い」から「事業」へ
私が、母の久代から柳生商店の社長を引き継いだのが29歳の時でした。それで29歳がとても大切な節目の年と考えるようになりました。いずれ社長業をバトンタッチするなら早く譲り渡したほうがよいだろうと考え、次男の敏宏が28歳になったときに、まず副社長に任命しました。いろいろなオーナー経営者を見ていると、息子に社長を譲っても、そのまま社長室を使用している人が多いのです。それだと後継者は育たないと考え、そのタイミングで社長室を明け渡しました。それ以来、社長の椅子に座ったことはありません。
◆10億円達成できず
敏宏は最初借りてきた猫みたいでしたが、だんだん慣れてきて、副社長の任命から1年がたつころに、「どうする? もうそろそろ(社長を)やる?」と聞いてみました。2人で札幌に出張する機会があって、その時に「やります」と彼が宣言してくれましたので、「それでは孤独を楽しみなさい」との言葉を贈りました。
2007年10月19日に社長業をバトンタッチしました。10月19日は、大恩人の高橋荒太郎翁の誕生日で、わが社の創立記念日でもあります。特別なことはすべて、この日に行います。高橋翁のご指導を受けていなかったら、この会社も誕生していませんから。
会社では社長室はすでに引き継いでいましたし、会長室はつくりませんでした。自分の席がないので、自宅を私の事務所にしました。自己分析すると、私はうるさ型で、めちゃくちゃ短気。失敗をしても真面目に緊張感をもって一生懸命に取り組んでいれば許せるけど、仕事をしていても気が緩んだ社員を見ると叱ってしまうので、あまり会社には行かないようにしました。社長交代したものの、毎週月曜の朝に開いているトップ会議に出席して報告を聞いたり、経営の大きな流れを決めることにアドバイスはしていますが、最近はその回数もかなり減っています。