2018年11月に創業100周年を迎える笹一酒造が、麹と酵母を手作りで行う酒造りの原点へ回帰している。13年にそれまでの大量生産設備を全廃した。生まれ変わった酒蔵で造られた第1号商品の日本酒「旦(だん)」は、発売から4年で年間10万本(一升瓶換算)の主力ブランドへ急成長を遂げた。次の一手は、「旦」のワイン版を商品化、来春の発売で100周年を飾る。4代目、天野行典社長(76)は、「少量・高品質の酒造りで味を極める」という。
創業者は行典氏の実父、久氏。甲州市の酒蔵に住み込みで修業を積んだ久氏は、大月市笹子町で清酒と焼酎の製造を始めた。行典氏によると、「父は商売が軌道に乗るとその後、政界へ転身し、衆院議員3期、県知事4期を務めた。このため2代目には、長兄の森(しげる)氏が早稲田大学在学中に就任。その後、1989年の全盛期には、年間100万本まで生産規模を拡大した」という。
森氏は昭和30年代からワイン、ブランデー、リキュールへ進出。一方で67年には米国アイオワ州へワインの輸出を開始した。高度経済成長の波に乗り生産量を拡大したが、89年の100万本をピークに減少に転じ、2010年には10分の1に縮小してしまう。
◆市場縮小を見誤る
行典氏によると、売り上げ急減の理由は全国的な日本酒離れだったという。ただ、笹一酒造は日本酒市場の縮小を見誤り、1990年、製造設備を刷新したことが裏目に出た。「借り入れが14億円。ところがその後の売り上げは減少の一途。地獄の日々が始まった」(同)