95年に行典氏のおいの3代目、天野才(さい)社長が就任するも経営難は続いた。一方、2代目の長兄より15歳年下の行典氏は大学卒業から2年後、笹一を離れ、甲府市内で飲食店5店舗を開業し成功を収めた。その後、第一線から身を退いたが、2010年、笹一に呼び戻され、才氏が52歳で急逝した12年、4代目に就任した。
「経営はどん底。とにかく酒を造り、売るしかなかった。酒の品質は悪かった。値引きもした。難局を打開するには、うまい酒造りという原点に戻るしかなかった」(行典氏)
飲食業の長年の経験から、「口に入れるものはおいしくなければいけない」というのが行典氏の信念。酒の味や品質に精通した人がいないか、暗中模索の日々が続いた。翌13年、知り合いの杜氏(とうじ)(酒造りの最高責任者)から紹介された、杜氏の伊藤正和氏(44)が、笹一の起死回生に向けた酒造りに参画することになった。
◆特約店にのみ販売
行典氏は、息子で専務の天野怜(れい)氏(38)、伊藤氏と相談しながら、大量生産の製造ラインの全廃を英断。最新の洗米機、乾燥蒸気を出せる吟醸瓶、2台の酒搾りを導入、自家井戸から湧き出る水を仕込み水とし、地元産の山田錦や夢山水という酒米を使用した酒造りに転換。麹作り酒母工程を手作りに戻し酒造りを根本から変えた。
こうして生まれたのが、特約店だけに販売する日本酒ブランド「旦」だ。以前は酒販店へ売り込まねば酒が売れなかったが、旦は酒販店から「売ってほしい」と声がかかるようになったという。当初、年間2万本の生産量が、現在、10万本に急成長。国内58の酒類卸しを通じ、県内外の飲食店と酒販小売店で展開している。
行典氏は「最近では『旦』の笹一といわれるほどになった。主に飲食店へ向けて販売、三つ星レストランにも入っている。『旦』で日本酒の最高峰を目指したい」と力を込めた。(松田宗弘)