【酒豪女子が行く】(4)売ってはいけないレベル… 地ビールブーム崩壊の裏側 どん底まで落ちた社長を救った人物 (1/4ページ)

 1997年春に家業の餅屋の傍らでビール製造に乗り出した伊勢角屋麦酒の鈴木成宗社長(49歳)は、たった数か月で危機感を抱いた。当時は品質が低い地ビールが横行して消費者離れが進み、案の定ブームは崩壊した。どん底から這い上がったきっかけは、「厳しすぎる」救世主との出会い。鈴木社長が生まれ変わった伝説の「13時間の説教」とは。そして佳境を迎えた酒豪女子のコラボビール造りに新たな難題が…。

▼前回の話(3):ブーム終焉で「暗黒の時代」 詐欺相手から逆説教… どん底から這い上がったビール会社社長

売ってはいけないレベル… 地ビールブーム崩壊の裏側

 94年の酒税法改正に端を発し、全国に新興メーカーが急増したことで盛り上がりを見せた地ビールブーム。伊勢角屋麦酒が参入した97年春も人気は健在で、大勢の客が店に詰めかけてはビールが飛ぶように売れていった。

 「こんなに売れるとは…」と驚嘆するも、鈴木社長がブームの危うさを確信した理由は当時の地ビールの品質にあった。「新規参入が相次いだこともあり、どこもビール造りは『素人』。高品質を保てるブルワリーは少なく、『これを1回飲んだ人はリピートしない』という感覚がありました」。

自ら仕込み場にも立つ鈴木社長

自ら仕込み場にも立つ鈴木社長

 当時、すでにビアコンテストの審査員資格を持っていた鈴木社長は、驚きの光景も目の当たりにする。「メーカー名や商品名を伏せた地ビールの試飲会があったのですが、半分は『売ってはいけない』レベルでした。衛生状態が担保できないため、いろんな雑菌が入ってしまっていたんです」。健康に害はないものの不純物が混じった地ビールが横行していたため、「そのような地ビールを最初に飲んでしまったらもう買わないだろうな」と鈴木社長は消費者離れを危惧していた。国内では「地ビールは高くてマズい」という空気が徐々に醸成されていったという。

13時間怒られて改心 どん底まで落ちた社長を救った人物