日立と東芝 ライバル2社の命運分けたトップの覚悟 (3/3ページ)

日立と東芝の最終損益の推移
日立と東芝の最終損益の推移【拡大】

 メンツにこだわらぬ思い切った改革の象徴的な事例が三菱重工業との火力発電設備事業の統合だ。14年に三菱重工が65%、日立が35%出資する会社を発足させて両社の火力事業を統合した。

 だが、日立の主力事業の一つで、川村氏自身の出身母体だっただけに、統合には「日立が助手席。これでいいのか」と反対論が強かった。川村氏は「世界の“列強”と戦うにはこの選択肢しかない」と粘り強く説明して回ったという。

 東芝もリーマン後の09年3月期の最終赤字は3988億円と巨額で、本来は会社を構造改革で立て直すべきだった。だが、当時社長だった西田厚聡(あつとし)氏が「財界総理である経団連の会長に意欲を示し、条件の業績向上にこだわってウミを出し切れなかった」(関係者)。さらに業績不振を隠蔽(いんぺい)するため部下に「チャレンジ」と称して無理な収益改善を要求したことが不正会計の温床となった。

 「公家の東芝、野武士の日立」。両社はこう評される。財界総理を輩出してきた東芝は財界活動で培った“コネ”にモノをいわせた調整力が武器で、東京電力などから一番に仕事が回ってくるのが常だった。これに対し日立は財界から距離を置き、独自技術と品質にこだわり続けた。

 しかし、今や東芝の威信は地に落ち、政府や財界の視線も日立に集まっている。川村氏は日立会長時代に経団連会長を固辞したことで知られるが、東京電力ホールディングス会長に就任。経団連の次期会長候補には日立の中西宏明会長の名前が挙がる。両社の立ち位置が入れ替わる皮肉な現状は東芝の財界活動への固執があだとなったことも浮き彫りにしている。(万福博之)

【用語解説】日立製作所

 総合電機メーカー国内首位。1910年、久原鉱業所日立鉱山(茨城県日立市)付属の修理工場として創業。1920年に日立製作所として独立した。情報通信システム、鉄道や発電設備などの社会インフラ、産業機械、自動車部品などの事業を手がける。2017年3月期の連結売上高は9兆1622億円、同年3月末のグループ従業員数は30万3887人。

【用語解説】東芝

 1939年、芝浦製作所と東京電気が合併して東京芝浦電気として発足し、1984年に東芝に改称した。半導体や発電設備、エレベーター、事務機器などを手がける。2017年3月期の連結売上高は4兆8707億円、同年3月末に5529億円の債務超過に陥った。グループ従業員数は15万3492人(3月末)。経団連会長に石坂泰三氏と土光敏夫氏を輩出した。

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