【和歌山発 輝く】「原材料こだわり」珍しい食酢・日本酒の蔵元に “逆ばかり営業”で販路拡大 (1/5ページ)

たくさんの木桶が並ぶ圧巻の酢蔵の風景=和歌山県紀の川市
たくさんの木桶が並ぶ圧巻の酢蔵の風景=和歌山県紀の川市【拡大】

  • 雑賀衆のシンボルマーク・八咫烏がデザインされた雄町純米大吟醸「雑賀」

 酢や日本酒の醸造などを手掛ける「九重雜賀(ここのえさいか)」(和歌山県紀の川市)。敷地内にある蒸し蒸しした酢蔵の中には、約40樽の木桶がずらり。正面奥には酒蔵があり、中は涼しい。現在、製造している商品は約7割が酢で、酒と梅酒が各約1.5割といった比率という。

 酒米「山田錦」で造った純米大吟醸の酒粕(さけかす)を使った「吟醸酢」や、ユニークなネーミングで使い方が分かるようにした万能だし酢「お手間とらせ酢」、日本酒では全日本空輸(ANA)の国際線ファーストクラスとビジネスクラスで提供されたことがある「純米吟醸 雑賀」などを世に送り出してきた。

 原材料から一貫生産

 創業は1908年。雜賀俊光社長の曾祖父、豊吉氏が和歌山市内で食酢の製造販売を始めた。酢の中でも「赤酢」と呼ばれる酒粕を原料とした酢である。

 「より良い食酢を造るには主原材料である酒粕から一貫して造るべき」そして「食事に合う日本酒を造りたい」。

 創業者のそうした考えから34年には、日本酒造りも展開するようになった。酢と日本酒をともに造る蔵元は全国的にも珍しい。

 雜賀社長は上京後、東京都内の高校、大学を卒業し、サントリーに入社。銀座で営業を担当する一方、プロボクサーでもあったという異色の経歴の持ち主。そして、家業を継ぐため、和歌山へ。営業で県内の酒販店を回ると、「酢屋で造った酒は酸っぱいだろう」と言われた。「以前から酢は市内でもダントツに売れていたが、日本酒の売れ行きは下から数えた方が早かった。だから日本酒を売り出すには外へ出るしかなかった」と、雜賀社長は振り返る。そのため、販路を開拓しようと、再び上京した。

“点”を“面”にして販路形成