イラク南部に、日本企業が建設し40年近く人々の生活に尽くしてきた火力発電所がある。度重なる戦火で設備は甚大な被害を受け出力は減ったが、現地で技術を受け継いだイラク人の情熱により運転を継続。再び日本の支援を受け9月に補修作業が完了した。電力の安定供給が可能となった今、「日の丸発電所」は荒廃した国土で復興の礎になろうとしている。
日本からの「花嫁」
乾いた青空に、巨大な煙突から黒煙がたなびく。イラク南部バスラ州に立つ「ハルサ火力発電所」は1980年ごろ、日本政府の円借款事業として三菱重工業(火力発電部門は現・三菱日立パワーシステムズ)が建設した。4基を擁する発電所で、同社の技術者らがイラク人に運転方法を指導、現場を離れても研修などで交流は続いた。
「発電所は私の人生の相棒だよ」。地元のベテラン技術者、ナディムさん(56)が振り返る。新人だった89年、温和で職人気質の日本人から仕事の心構えをたたき込まれた。抜群の安全性に親しみを込め、周囲のイラク人は発電所を、日本から嫁いだ「花嫁」と呼んだ。
試練は湾岸戦争中の91年に訪れる。宿舎で休憩していたナディムさんは突然の爆音に驚いた。米軍の空爆だったといい、泣き声が響く敷地はがれきの山に。運転停止を余儀なくされ無力感に襲われながらも、決意を固めた。「このままでは絶対にいけない」