【千葉元気印企業大賞】キーパーソンインタビュー

坂本飼料・坂本専務
坂本飼料・坂本専務【拡大】

  • 加藤病院・土居院長

 ■養殖漁業の未来を考える水産事業者

 □坂本光正 坂本飼料 専務取締役

 中学1年から夏休みを利用するなどして、父(坂本憲一社長)が創業した、魚の養殖用飼料製造を手伝ってきた。「この道に入るのは自然でした。原料を混ぜ合わせて餌を作ることが面白かった」。長じるに及び、「面白かった」という興味の対象は、魚類の生態や製造機械の良否、養殖技術の研究、飼料開発、経理、販売といった家業のためのあらゆる分野に向かう。

 「関係するすべての分野の原点が分からないとダメ」という旺盛な探求心から、水産研究所での魚類研究も経験した。「養魚飼料事業に関することなら何でも知り、前へ前へと進む機関車のような人」と父を評するが、そのDNAをそのまま受け継いだようだ。

 「ウサギとカメの話でいえばカメのような会社」と謙遜する。が、飼料製造の原料は商社を通さずに直接、デンマークなどの生産者らと取引する。製造機械は創業時から、米国やノルウェー、オランダほか海外諸国から導入してきた。「世界を相手に、良い物のみを使う」魚類養殖事業のリーディングカンパニー。「例えていえば、“坂本教”の信者を徐々に増やすという、取引先との信頼関係づくり」を大事にしてきた。

 その「カメの歩み」が、東京海洋大などをパートナーに、世界で初めて、生餌でない、ハマチ養殖用ドライペレットの製造という成功をもたらし、養魚飼料のデファクトスタンダードに押し上げた。飼料作りのパイオニアとして「ドライペレットのプライスリーダー」との矜持を持つ。鹿児島には自社養殖場を持って実地にて研究してもいる。

 「天然物がもて囃され養殖魚の地位が貶められていますが、実は養殖魚の方が肉質が良くておいしい。食の安全性を追求した飼料を作っていますから食べても安心。生産者も自らが養殖して出荷する魚を自分で食べますから」。昔なら、養殖ハマチは脂がギラつくといったイメージがあったが「魚種やサイズに応じた栄養成分を徹底管理のもとで配合し、肉質のコントロールも可能になっています」

 「大手企業と私たちの違いは、養殖業者みんなが儲かる仕組みをつくろう、という考え方でしょうか。単なる飼料メーカーでなく、養殖漁業の未来を考える水産事業者。ウチがいないと養殖業界をダメにする、という気概を持っています」。“機関車”の父を追い越して行く? 「私はまだ機関士に過ぎません」。二代目は高みを目指す。

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【プロフィル】坂本光正

 さかもと・みつまさ 大学卒業後、飼料関係会社勤務、水産研究所入所を経て1983年入社。営業や経理、研究開発、工場勤務と社業全般を学ぶ。「取引先との約束は守る」が信条で、「ニーズの変化に合わせ、“仕掛ける”飼料作り」を重視。学生時代の友人とオフを過ごすのが楽しみ。60歳。千葉県出身。

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 <企業プロフィル>1958年坂本商店として創立、79年坂本飼料に社名変更。魚の養殖用飼料が変遷する中で、水分を含まないドライペレットを研究機関と共同開発、業界をリードしてきた。「獲る漁業から育てる漁業」「天然物に左右されず、漁業従事者と共に生きる」が経営方針。養殖漁場の自家汚染に関する国際シンポジウムなど海の環境保全研究にも積極的に参加。96年度の日本水産学会賞技術賞を受賞した。

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 ■執刀経験豊か、患者に丁寧な婦人科医

 □土居大祐 医療法人社団吉祥会 加藤病院院長

 「医療レベルでは大病院にだって引けは取りませんよ」。医師になるなら外科医、という通りの人生を歩んできた自信が、こう言わせる。専門は婦人科だが、日本医科大学病院や神奈川県立がんセンターほかで、星の数ほどの手術を手掛け多くの命を救ってきた。

 高知の実家は火薬・銃砲店。親族に医者はおらず、特に医師を目指すきっかけを得るような環境下で育ってはいない。「幼い頃、祖父が病気になり『死なない薬を作る』とは言ったようだが、それで医師を目指したとは言えない。自然と、かな」

 日本医科大に進むと、手術ができる科を専門にと考えたが、選択肢の1つだった消化器外科は希望者が多かった。「人数が多い科では執刀の経験数は限られてしまう。ならば…」と選んだのが婦人科。消化器外科は希望者十数人、こちらは2人。希望をかなえるために“実”を取り、思った道を行く合理的センスの持ち主だった。

 研修医から派遣医を経て、日本医科大本院や同大武蔵小杉病院などの勤務でメスをふるい続け、経験豊富な気鋭の執刀医への階段を駆けのぼる。ただ、加藤病院の加藤敏・前院長は大学の先輩でもあり、研修医時代から週一回ペースで非常勤医として手伝った“縁”があった。

 医師として脂の乗り切った52歳のとき大学病院をやめ、腕一本の1年間を過ごす。「そういう生き方もいいかな、と」。そんな我が道を行く男に「院長に迎えたい」と声を掛けたのが加藤前院長。引き受けたのは「出産から高齢までの健康保持。一生を通じてつきあえる病院でありたい」という開業理念への共鳴があったからでもある。

 千葉・木更津に腰を据え始めて2年弱。「非常勤医だった頃に比べて患者さんが増え、受診までの待ち時間が長い。この不便解消が当面の課題です」

 患者が増えるのは頼られている証左。後輩医師の指導などで数は減ったが、いまだに手術台に立つことも。豊富なオペ経験が活きている。「手術前はイメージトレーニングが大事。出血が止まらないとか、緊急事態を何度もくぐり抜けてきたからこそ、自らを信じられるんです」

 「執刀医になれるのは手先が器用な人? 違う、丁寧に取り組むこと。手術はうまくいって当たり前。こちらは数え切れないほど手術してるけど、患者さんは1回きりでしょ」。患者に向き合う強い意志が言葉となってあふれ出た。

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【プロフィル】土居大祐

 どい・だいすけ 神奈川県立がんセンター、日本医科大学病院勤務などを経て2016年4月、加藤病院院長。医学博士。「研究より執刀が好き」と話す力量のドクター。趣味のテニスは学生時代仕込み。小児科医の夫人もテニスを始め「もう少し上達したら一緒にできるかな」。55歳。高知県出身。

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 <病院プロフィル>明治期に今の木更津・高柳地区にお産を助ける医院として開院した後、1946年個人病院として開業、93年医療法人化。産科、婦人科、小児科、内科を整え、出産から更年期まで「一生を通じて付き合ってゆける、女性のための病院でありたい」(土居院長)を医療コンセプトとして打ち出している。来年からは電子カルテも導入予定で、受診の待ち時間短縮化にも取り組む。

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 ■千葉元気印企業大賞

 新しい千葉県の産業と、各企業の活力アップの一助になることを願って1995(平成7)年度に制定された表彰制度。わが国の産業基盤を支える地域企業の発展に一層の弾みをつけていただくことを目的に、新技術、新製品開発、ユニーク経営などを通じ、活力あふれる経営で時代を先取りする中堅・中小およびベンチャー企業を広く表彰するもの。応募資格企業は千葉県内に本社および事業所をもつ、株式上場会社を除く全企業(ジャスダック登録企業は応募可)

 【主催】フジサンケイビジネスアイ 【共催】千葉興業銀行

 ◇問い合わせ先

 フジサンケイビジネスアイ 千葉元気印企業大賞事務局

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