だが、同社の内部事情に詳しい関係者は「クーデターが起きたのは、それほど不思議なことではなかった」と指摘し、次のように解説する。
「三越伊勢丹には大西さんに誘われて中途入社した人が何人もいますが、彼らがそろって口にするのは『伊勢丹は福助社長や参議院議員を務めた藤巻幸夫さん(故人)が敏腕バイヤーとして活躍した会社なので、転職したらきっと刺激的な仕事ができる! とワクワクしていたのに、実際は違った』という落胆の言葉。ある人は転職早々、『伊勢丹では藤巻さんのような人は例外だよ』と人事に突き放され、大西さんから『外から来たあなたが空気を変えてくれ』と言われたそうです。実際、社内には外から見ているだけではわからない息苦しさがありました」
前社長に対する“クーデター”勃発の背景
キラキラした外面とは異なり、社風は官僚的で、プロパー社員のほぼ9割は大西流改革を理解できていなかったという。そのため、大西体制の末期には、中国人観光客向けの新規事業やリニューアルなどの重要案件で1年以上の遅れが出ていた。
関係者によれば、そうなってしまう理由は主に2つ考えられる。1つは、三越と伊勢丹が無理やり合併したことによる風通しの悪さ。もう1つは、バブル入社組をはじめとする中間管理職層の抵抗である。大西前社長も同様の認識を持っていたようだが、大規模な人減らしにまでは踏み込まなかった。不採算店舗の閉鎖は進めたものの、その分だけ新規事業で雇用を吸収する方針をとったのだ。
「しかし実際には、バブル入社組の多くは変化を嫌っていた。プライドが高く、現状維持を優先してしまうのです。それもあって、大西さんは彼ら中間管理職を飛ばして、現場の元気な若い社員とのコミュニケーションを優先していました。そのやり方が社内に軋轢を生み、結果としてクーデターを招いてしまったのかもしれません」