【講師のホンネ】移民150年、ハワイに学ぶ 大谷由里子

 2017年に生まれた子供の数が94万1000人。一方、死亡数は134万4000人。年間40万人の人口減が浮き彫りになる。宮崎市や大阪府豊中市の人口は約40万人。毎年、宮崎市や豊中市が消えていくペースで人口が減っていることになる。そう思うと、人手不足は当然のことで移民問題も待ったなしの状態と感じる。

 5月中旬、移民について学ぼうとハワイへ降り立った。150年前に最初の日本人が移民したという。153人が、34日かけて日本から船で渡った。その人たちをハワイでは元年者と呼ぶ。彼らのほとんどは、17~23歳の若者だった。

 明治維新で職を失った人や農家で税金を払えずに出稼ぎとしてやってきた人たち。いつの時代も同じで、コツコツ働いて仕送りした人もいれば、ばくちにお金を使った人などさまざまな人がいた。契約の3年間が終わった頃、90人は日本に帰らずに内40人は米国本土に渡り、50人はハワイに残った。ほとんどの人は現地の女性と結婚。ハワイで生活の基盤を手に入れ、子供の教育にも力を注いだ。

 1940年代初めには、ハワイの人口の40%が日系人。そして、「これから幸せになろう」としたところでパールハーバー。日系人で頑張ってきた人ほど収容所に入れられることになった。そんな中で、「とにかく米国に認めてもらうしかない」と、多くの日系人が志願兵となる。中でも大活躍したのが442連隊。彼らは、米国兵として、米国のために戦った。結果、戦後、日系人が評価されることにつながった。

 移民した人は、「頑張り」「我慢」「孝行」など、日本人の当時の価値観を子孫のために言葉として碑に残し、子供たちを教育して政治の世界や教育の世界に子孫を送り込んだ。日本人の心を受け継ぎつつ、「戦争が起これば選択肢はただ一つ。忠実な米国人として国に仕える」という言葉も印象的だった。

 これらのことは、オアフ島のホノルルにある日本文化センターで知ることができる。リゾートだけがハワイじゃない。今のハワイがどう成り立ったか、そこにどんな移民の歴史があったか。そして、これからの日本はどう移民を受け入れ、彼らにどうなってほしいのか、少しだけ考える「きっかけ」になるとうれしい。

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【プロフィル】大谷由里子

 おおたに・ゆりこ 奈良県生まれ。1985年吉本興業入社。横山やすしのマネジャーを務め、宮川大助・花子など、タレントを次々と売り出した「伝説の女マネジャー」として知られる。2016年3月、法政大学大学院・政策創造研究科を修了。「笑い」を用いた人材育成法は、NHKスペシャルなど多くのメディアで話題となっている。