【オリパラ奮闘記】円谷幸吉さん 父、君原健二の永遠の友人 

福島・須賀川市の「円谷幸吉メモリアルホール」を訪れた筆者と父親の君原健二さん
福島・須賀川市の「円谷幸吉メモリアルホール」を訪れた筆者と父親の君原健二さん【拡大】

 今から54年前に行われた1964年東京五輪。2004年アテネ大会と並び、日本勢の五輪史上、過去最多となる16個の金メダル獲得と輝かしい成績を残した大会でしたが、陸上はメダル獲得がないまま、競技最終日の10月21日を迎えました。国民の期待は男子マラソンに集まりました。そんな中、円谷幸吉選手が見事、自己ベストをマークして銅メダルを獲得し、大会のメインスタジアムである国立競技場に日の丸を掲げました。

 円谷選手は、国立競技場内で英国のヒートリー選手に抜かれたことを悔いて、次のメキシコ五輪で3位以上の結果を残すことが国民との約束だと決意されたそうです。しかし、残念ながらメキシコ五輪を前にした昭和43年1月、27歳でお亡くなりになりました。

 私の父、君原健二は円谷選手と同学年です。ともに東京五輪の男子マラソンに挑み、父は8位。友人であり、ライバルでもあった円谷選手への思いを胸に出場したメキシコ五輪では銀メダルを獲得しました。

 父は毎年10月、円谷選手の地元、福島県須賀川市で開催される「円谷幸吉メモリアルマラソン」に毎年参加しています。昨年は35回の記念大会で、私も父と一緒に須賀川へ行き、お墓参りもさせていただきました。2020年東京大会の聖火リレーは福島県からスタート。ぜひ、父に“円谷さんと一緒”に須賀川を走ってもらいたいと思っています。(君原嘉朗=アシックス2020東京オリンピック・パラリンピック室室長)

 きみはら・よしろう 昭和46年6月10日生まれ、福岡県出身。平成6年にアシックスに入社し、27年から現職。須賀川にある「円谷幸吉メモリアルホール」での円谷さんの写真。朗らかな表情が印象的でした。