【経済インサイド】マツダ「ロードスター」が30周年へ 小型スポーツカーを守り続ける理由 (2/4ページ)

マツダの歴代「ロードスター」。手前は4代目モデル=10月、横浜市のマツダR&Dセンター横浜(臼井慎太郎撮影)
マツダの歴代「ロードスター」。手前は4代目モデル=10月、横浜市のマツダR&Dセンター横浜(臼井慎太郎撮影)【拡大】

  • 初代「ロードスター」を運転するマツダ商品本部の山口宗則プロジェクトマネージャー=10月、横浜市(臼井慎太郎撮影)
  • マツダの4代目「ロードスター」を紹介する商品本部主査兼チーフデザイナーの中山雅氏=10月、横浜市のマツダR&Dセンター横浜(臼井慎太郎撮影)
  • マツダの歴代「ロードスター」。手前は初代モデル=10月、横浜市のマツダR&Dセンター横浜(臼井慎太郎撮影)

 逆風との戦い

 ロードスターは1970年に米国で制定された排ガス規制などの影響で一度は消えた小型スポーツカーを復活させる呼び水となったが、ブランドの象徴となるまでの道のりは険しかった。

 趣味性が強いスポーツカーは大量な販売が望めず、独自の車台も必要となる。これが開発と製造のコスト増を招くため、存続の議論を呼びやすい。ロードスターも、平成8年に米フォードの傘下に入ったマツダがバブル崩壊で不振に陥った経営を立て直す過程などで「いかに継続するか」という課題に直面したという。

 マツダで商品本部主査兼チーフデザイナーを務める中山雅氏は、ロードスターが誕生した元年に入社。以来、オーナーでもある中山氏は「車造りで理想を追うことよりも、ビジネスとして上手にやらなければいけないという難しい時期もあった」と振り返る。

 その後も、実用性も高めたスポーツ用多目的車(SUV)の台頭や所有にこだわらない消費者の増加など取り巻く環境が変化。中山氏は「この先も難しい場面が出てくると思うが、ファンのために『小さくて軽く、運転し楽しい車』を造り続けたい」と決意を述べた。

迫る電動化の波