高論卓説

アフリカ開発に日本独自路線 対等な協力姿勢は「一帯一路」しのぐ (1/2ページ)

 ナイジェリア生まれでロンドンを拠点に活躍する、現代美術家のインカ・ショニバレ氏の作品を集めた日本初の展覧会を見たのは、福岡市の大濠公園にある同市美術館だった。公園の広大な池に、桜の花びらが散っていた。(田部康喜)

 会場に入る観客を迎えるように、色鮮やかな「アフリカンプリント」といわれる50種類もの布地をあしらった大作が壁を覆いつくす。実は、オランダやスイス、イギリスの繊維会社が20世紀に入って、インドネシアのろうけつ染めに学んで、アフリカの植民地に輸出した。植民地の象徴だった布地が、1960年代の独立のうねりの中でアフリカに根付いた。ショニバレ氏は、絵画やマネキン大の女性のトルソー、地球儀を頭にした人形の衣装などに繰り返し「アフリカンプリント」をあしらっている。地球儀には列強によって植民地化された国々は、黄色に塗られている。

 アフリカとくにサハラ砂漠以南の「サブサハラ・アフリカ」は、中国、インドに続く成長地帯として立ち現れている。この地域の2008年から17年の年平均経済成長率は3.7%、1人当たりのGDPは05年の992ドルから19年には1573ドルと59%も増えている。

 アフリカの国家元首・首脳や先進国、国際機関、民間セクターの代表らが議論する、第7回アフリカ開発会議が日本で初めて8月下旬に横浜で開催される。アフリカンプリントが象徴する、植民地と独立の自負の二重の歴史を持つ地域が、新たな経済成長の時代に至っているとき、日本開催の意義は大きい。

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