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なぜ「ジョーカー」は商業的に成功したか “都合の良い悪夢”の消費欲求 (2/2ページ)

 要は「その場限りの熱狂で程よくガス抜き」され、結果として「現実を変える」よりも「現実を“やり過ごす”」作法を促し、むしろ「既存の体制を(破壊せず)補完」するのです。もちろん鑑賞後に「周りの風景が違って見える」ということはあるでしょう。けれども、それが良くも悪くも「つまらない仕事」に向かわせるための“刺激的な保養地”として機能するのです。

 これには神話学者であるジョーゼフ・キャンベルが、ジャーナリストのビル・モイヤーズに語っている古代神話の役割が参考になります。

 キャンベル:古代神話は精神と肉体とを調和させるために作られたものです。精神は奇妙なひとり歩きを始めて、肉体が欲しないものを求めたがる。神話や儀式は精神を肉体に適合させ、生活方法を自然が定めた道に引き戻す手段です。

 モイヤーズ:すると、そういう古い物語はわれわれのなかで生きている?

 キャンベル:まさしくそのとおりです。

 (『神話の力』飛田茂雄訳、早川書房)

 以上のキャンベルの指摘を踏まえれば、「アンチヒーローシステム」は、「個人を社会に適合させる」ための「ヒーローシステム」の亜種であることに気付きます。結局のところ、この社会に嫌気が差し、倦(う)んだ人に、「アウトサイダーの夢」を見させ、「インサイダーの道」に「引き戻す手段」ということになるのです。

 ここに「アンチヒーロービジネス」の要となるヒントが詰まっています。『ジョーカー』を鑑賞して「実際に殺人に走る」人はまずいないでしょう。あくまで「(悪い)夢」を消費しているにすぎないからです。

 「痛快なアンチ」を求める社会への警鐘

 しかしながら、ジョーカーことアーサー・フレックは、どちらかといえば「現代におけるありきたりな悲惨」(精神疾患、解雇、いじめ、非モテ、児童虐待等々)をコンプリートした設定です。加えてそこに自尊心が確保できる「居場所のなさ」が刻印されているがゆえに、多かれ少なかれ「慢性的な不幸感」にさいなまれている現代人の琴線に触れ、既存の秩序を転覆させる「(悪い)夢」に共感する境地を切り開いたのでしょう。主人公と観客に「何か重要な接点があると思わせる」“真実味”です。

 本作ではそれが「心優しき芸人」の「身の置き所のない地獄」というリアリズムを重視したギミックでした。オンラインサロンや自己啓発セミナーであれば、主催者とメンバー間における「共通の危機意識」となるでしょう。

 そのため『ジョーカー』の作り手は、劇中に「ジョーカー」と「熱狂する大衆」の隔絶をあえて仕込んだのでしょう。『ジョーカー』の核心部分だけを抜き出せば、「シリアルキラーが反体制のシンボル」に祭り上げられる、という恐るべき皮肉です。これは私たちが「アンチヒーロー」に「都合の良い夢」を仮託しやすいことへの警句なのです。

 今後、わたしたちが「今の世界」に「居心地のなさ」を感じれば感じるほど、コミュニティーの崩壊が進んで社会状況が悪化すれば悪化するほど、「アンチヒーロービジネス」の未来は幸か不幸か異様な明るさを増していくでしょう。

 先進国において多数派になりつつある「慢性的な不幸感」にさいなまれた人々は、ゆううつな現実を吹き飛ばしてくれる「痛快なアンチ」を切望するからです。「自分たちが抱える苦悩に関係がある」と思える魅力的な「アンチヒーロー」が、「報われない人々にこそ希望の光が宿る」とか、「現代の悲惨を背負い続けるあなたがた一人ひとりが革命の種子だ」とか、「いや、既にあなた方の種子は芽吹き始めている!」などと鼓舞し始めたら…?。

 分かっていて仕掛ける側も、分かっていてハマる側も、訳知り顔でシニカルに観察する側も、例外なしに、この妖しい輝きを放つ「アンチヒーローシステム」の誘惑から逃れ難いことに留意すべきでしょう。(ITmedia ビジネスオンライン)

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