新型コロナウイルスの流行が世界経済をマヒ状態に追い込んでいる。この異常事態によって、気付かされることがある。
例えば、よく言われる日本の労働生産性の低さが、何によるものなのか実感できる。普段、漫然と日を送っていると、生産性の低さを統計で示されても、ぴんとこない。
しかしウイルス対策で仕事のやり方が変わると、意識されなかった無駄が浮かび上がる。先日見たNHKの「首都圏情報ネタドリ!」という番組に、象徴的な場面があった。
中心の男性キャスターが番組冒頭「今日は席を離しています」と断った。感染予防のため出演者5人が、互いに離れて座っている。間延びしているなと思うと同時に、こんなに人は要らないだろうと直感した。
専門家と取材結果を報告する記者は別として、真ん中にいるサブの女性キャスターとコメンテーターは必要なのか。いなくても番組は成り立つ。
民放のニュース番組でも、看板キャスターの周りに何人もアシスタントなどをはべらせる形式が当たり前になっている。昔は1人でやっていて不都合はなかったのだから、ありていに言えば無駄である。
ことほどさように風景が変わると、今まで見過ごされていたことが目についてくる。
今年は企業の入社式も様変わりした。社長の訓示をビデオメッセージにしたり、列席する役員の数を絞ったり、中止や延期もあった。
中途採用が増えて通年採用も広がり、新卒者だけの4月の入社式はそもそも必要なのかという議論が前から起きていた。やめてどんな影響が出るのか。並び大名の役員などは、入社式に出るより本来の仕事をした方がよいのではないか。
新入社員を在宅のまま実施したウェブ入社式は、最近増えている業務へのICT(情報通信技術)の応用ともいえる。かねてデジタル化の遅れが日本企業の低生産性の一因と指摘されながら、なかなか改まらなかったが、認識が変わるかもしれない。
インターネットを利用したテレビ会議は、顔を突き合わせてやる会議とは一変する。腹の探り合いはできず、論理的に意見を述べなければならない。また意見のない人は参加しにくい。
在宅勤務の場合は、ゴマすりは不可能で、仕事の成果が明確に分かる。上司のマネジメント能力も問われる。忙しそうにしているだけで、実のある仕事をしていない者は上司も部下も許されなくなる。スキンシップが減る欠点はあるものの、業務の効率向上は期待できる。
取引先訪問や出張も全くゼロにできないが、行く人数を減らさざるを得ない。それで支障がなければ、ぞろぞろ行く必要はなかったわけで、余計なことをしていたと分かる。
松本晃・カルビー前会長は、カルビー時代、取引先を訪ねるときは、担当する役員や部長などを伴わなかった。「他のお得意先に行ってもらった方が、会社にとってはプラス」と考えたからだ。大手企業ではトップが出かけると、多数の幹部が従い大名行列になる場合が少なくない。大いなる無駄である。
非効率が習い性になっていると、それに気付かない。新型コロナによる危機は、前例踏襲に安住するという低生産性の病根をあぶり出す。
【プロフィル】森一夫
もり・かずお ジャーナリスト。早大卒。1972年日本経済新聞社入社。産業部編集委員、論説副主幹、特別編集委員などを経て2013年退職。著書は『日本の経営』(日本経済新聞社)、『中村邦夫「幸之助神話」を壊した男』(同)など。