リーダーの視点 鶴田東洋彦が聞く

つなげるスポーツ 「人のために自分を生かす」(2-2)

 --1972年のミュンヘン五輪で念願の金メダルを獲得した

 「当時はソ連、東ドイツとの三つどもえだった。日本は東ドイツと相性が良く、ソ連は苦手。そのソ連は東ドイツと相性が良くなかった。ソ連とはどこかで一度戦うと覚悟していたが、組み合わせの運が良く、予選リーグはソ連ではなく東ドイツと同組となり3対0のストレート勝ち。予選リーグは1位で通過したので、2位の東ドイツが準決勝でもう一方の組の1位だったソ連と対戦し勝った」

 「決勝はこれまでの対戦成績から『勝てる』との雰囲気もあったが、第1セットは東ドイツに取られた。大型アタッカーが両端からスパイクを打ち込むという得意のオープン攻撃で攻めてきたからだ。しかし、なぜか分からないが第2セットから戦法を替えて、いろいろな攻撃を仕掛けてきた。これが裏目に出て日本が勝利した。われわれはいつも通りの戦法を取ったことが勝因といえる。今年はコロナの影響で中止したが、毎年決勝戦が行われた9月9日に苦楽を共にしたメンバーが集まることにしている」

 --松平康隆監督の存在も大きかったのでは

 「64年の東京五輪で金メダルを取った女子は『東洋の魔女』と呼ばれ称賛された。このとき男子は銅メダルだったが注目されず、その後、監督に就任した松平さんは『ならばミュンヘン五輪で金メダル』と8年かけてチームをつくり上げた(68年メキシコ五輪は銀)。四六時中、バレーのことを考えていて少しでも日本代表が強くなるなら、バレーが盛り上がるならとプロモーションにも動いた」

 --五輪でメダルを取ってきたという歴史もあるが、バレーは日本人から愛されている

 「バレーは一つのボールをつなげるスポーツ。レシーブしてトスをあげてスパイクを打つ。コートの中の6人が力を合わせてつないで勝つ。次の人がプレーしやすいようにボールを渡すわけだが、日本人の本質、つまり『人のために自分を生かす』犠牲者精神がバレーにある」

 「ミュンヘン五輪に向けて、大型選手がそろう相手から点を取るために編み出した戦法に、時間差攻撃がある。おとり役のアタッカーがジャンプして打つと見せかけて敵ブロック陣を引き寄せ、その隙を突いて別のアタッカーが打つ。点を取ったアタッカーが脚光を浴びるが、おとり役はアタッカーを意識してプレーする。自分の役割をわきまえて動くというのが日本バレーの原点であり、チームワークだ。次のことを考えてプレーするのが最も大事で、その積み重ねが勝利に導く」

 --引退後は日本鋼管新潟支社長を務めた。学んだことは

 「地方には地方のルールがあるということ。東京にいては分からないし、東京理論を持ち出しても前に進まない。ローカルルールを理解し、地方のために何ができるかを考え、うまく立ち振る舞わなければいけない。貢献できて初めて認めてくれる。大企業でも、すごい人でも、一人では限界がある。バレーと一緒で組織の中で自分の立ち位置を知り、回りのために自分のできる最大限のことを発揮することが一番いい結果を生む。そこにあるのは日本人が好きな犠牲の精神だ」

 --趣味など楽しみは

 「ゴルフは嫌いではないが、『どうしても』というわけではない。体を鍛えることは全くしていない。ただ遅く帰っても必ずテレビを見る。それもなんとなくだが、30分から1時間ほど見る。それが気分を切り替える時間になっているのだと思う」

 「娘婿が歌舞伎役者ということもあって、孫の坂東亀三郎が2017年5月、『寿曽我対面』の鬼王家臣亀丸で初舞台を踏んだ。女房と観劇に行ったし、その後も見に行っている。最近、ある菓子メーカーのアイスクリームのCMに出演したので、この商品を喜んで食べている」

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