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国産ジェットを「1兆円空回り」に終わらせた三菱重工の“変に高いプライド” (1/2ページ)

 官民挙げての国産ジェット機開発に膨らんだ期待感は急速にしぼんでしまった。モノづくり大国ニッポンを牽引してきたはずの大企業が、オオカミ少年のような結末を迎えつつある。さらに、この失敗は三菱グループの企業力にもマイナスイメージをもたらしかねない――。

 「技術的なブランクへの心配」は当初からあった

 「半世紀の溝は埋められなかった」――。小型ジェット旅客機「スペースジェット」(SJ、旧MRJ)事業開発を凍結することになったとき、三菱重工業の幹部は肩を落としながらこう漏らした。

 三菱重工がスペースジェットの開発に着手したのは2008年。経済産業省が音頭をとり、官民で「日の丸ジェット」を実現しようと立ち上げた。「国内市場が縮小、若者の車離れが進む中、自動車一本足の産業構造だと日本のものづくりはおぼつかない」(経産省幹部)。

 自動車1台に使う部品数は2万~3万。航空機になるとその数は2桁増える。それだけにその幹部は、「産業の裾野の広さは車とは比べものにならない。雇用確保にも大いに貢献する」と期待していた。

 そんな大きな期待を持ってスタートした日の丸ジェット開発だった。しかし、当初から不安がなかったわけではない。民間ジェット機の開発は1962年の「YS11」以来のこと。YS11は1973年に生産を終えていた。それだけに三菱重工の幹部は「技術的なブランクへの心配がなかったかといえばウソになる」という。残念なことにその不安が的中してしまった。

 ANA調達担当幹部「戦闘機を造っているんじゃないんだぞ」

 これまで6度も納期を延期するなど累計1兆円の開発費を投じながら空回りが続き、新型コロナウイルス禍の打撃で窮地に陥った。「技術への過信がなかったかといえば、それはないとはいえない」(三菱重工幹部)。自前主義にこだわり傷を深くした姿は、三菱重工、ひいては日本の製造業に重い教訓を投げかけた。

 三菱重工が航空機製造の経験が薄いとは単純にはいえない。米ボーイングなどとは常に取引がある。しかし、納入するのは部品が主力で、約100万点にも及ぶ航空機製造で部品の調達や工程管理は、部品メーカーの発想では限界があった。

 「こんな狭いラゲッジスペースはあり得ない」「こんな堅いシートは使えない」。経産省の要請で初号機の受領を待つ全日本空輸(ANAホールディングス)の調達担当幹部はSJの立ち会いで何度も三菱重工の開発陣に声を荒らげた。「戦闘機を造っているんじゃないんだぞ」(同)。

 防衛省の戦闘機などの製造も請け負う三菱重工だが、予算や納期は民間航空機のほうがシビアだ。乗客のさまざまなニーズを反映させないといけない民間航空機の開発は「官公庁向けの航空機よりも数倍も手間がかかる」(同)ものだ。

 開発の足を引っ張った「変に高いプライド」

 中国、韓国勢に追い上げられ、青息吐息だった造船業の復権を狙って立ち上げた大型豪華客船事業でも三菱重工は2400億円もの損失を計上している。特に豪華客船は「海に浮かぶホテル」とも呼ばれ、内装など凝った設計が要求される。「駆逐艦や巡洋艦を造っていた感覚でやられたらたまらない」(海外大手船会社の担当者)。

 結局、船主から何度も設計変更を迫られ、なんとか完成にこぎ着けたが、赤字を垂れ流したまま客船事業からの撤退を余儀なくされた。

 SJの開発では、三菱重工の技術者の「変に高いプライド」も開発の足を引っ張った。相次ぐ開発の延期に自前主義を捨て、打開を目指すべく着手から10年が経過した2018年、カナダの航空機大手などから外国人の技術者を多数集めた。しかし、三菱重工の技術者とそりが合わず、現場で対立が続いた。

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