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「サイトの豪華さは消費者に伝わらない」高級ブランド販売サイトが驚くほどチープな理由 (2/3ページ)

 ■ハイブランド市場にも広がる「サブカル消費」

 彼らが購買導線の中から価値理解のステップを外したのは、データ分析を通じて「そうした過程は不要である」と結論したからだろう。

 広告関係者の間では「広告設計における商品の価値理解がいかに重要か」が繰り返し語られてきた。しかしそうした理解はブランド品においても日用品においても、間違っていたのかもしれない。

 では広告や通販サイトの代わりに商品の価値理解を担っているのは何なのか。

 ハイブランドが今売れているのは、「他人に差をつける」という過去によくあった顕示的消費ではなく、ブランド独自の価値観を中心にマーケットが回っているからである。その証拠にハイブランド商品も、一部を除いてはかつてのような大きなロゴマークをつけなくなっている。そこでは「価値を理解する者が自らの満足のために購入する」という、サブカル(=オタク)消費と同じ文脈で市場が成立している。

 オタク消費であれハイブランドであれ、コアなファンがいて価値の訴求がその内部で調達されている場合には、実際に購買が動いている。そこで重要なのは、SNSなどで結ばれている比較的少数のセグメントの中で共通する価値観の存在である。それは「文化」と言い換えてもよい。

 ■日本は「生み出す能力」を育てる発想ばかりだが…

 今はモノがあふれている時代である。ただ生きていくためだけであれば、ほとんどの人にとって自分が今持っているものだけで十分だろう。しかしそれでは消費は拡大しない。経済合理性ばかりを追求していくと、無関心化が進行し、経済は衰退する。それを補うのが新しい価値観の獲得である。

 同じジーンズでも作り手の物語に心惹かれれば、「服は着られればいい」という無関心的合理主義を脱して、安価な定番品の代わりに高価なブランドジーンズで満足を得ようとする。買い手に新たな価値観、新たな関心を持ってもらわなければ、作り手に未来の展望は開けない。

 新しい価値観とは、新しい文化である。

 オタク消費でもハイブランド通販でも、局地的な消費の拡大を支えているのは、実は広い意味での買い手の「文化」なのである。

 日本ではしばしば、「日本経済が衰退している原因は、すぐれたモノをつくる人材、アイデアを持った人材が出てこないからだ」といった説が唱えられる。それに対処すべく、「小学校からプログラミング能力を鍛えよう」「英語力を身につけよう」といった教育改革が提案され、実行されている。

 だが、そうした発想は本当に正しいのだろうか。

 日本では社会全体が作り手側の視点に固着している。学校も企業も、英語にせよプログラミングにせよ、「生み出す側の能力」ばかりを育てようとしている。それは日本が工業立国を目指した、高度経済成長期の発想である。

 ■ユーザーの要望に応えるだけでは成長に限界がある

 しかし経済には、つくる側の問題だけでなく買う側の問題もある。

 買う側を育てなければ市場は広がらず、経済も伸びない。消費の成長と経済の成長は表裏一体である。

 高度成長期には「いいモノをつくれば、みんなそれを買うはず」という、プロダクトアウトの考え方が主流だった。当時は実際に作り手主導で流行が作られ、市場が拡大していったかもしれない。しかしマーケティングの世界でプロダクトアウトが否定され、「消費者側のニーズを汲みとって商品開発していく、マーケットインこそ重要」と言われるようになって久しい。

 モノ不足の時代に従順だった消費者が、モノ余りの時代になってどんどんわがままになっていった。作り手はもはや消費者をリードすることができなくなり、市場ニーズに即した商品を開発していくことに専念するようになった。

 しかしユーザーの要望に応えるマーケットインだけでは成長の限界があることを、企業は理解すべきだろう。

 マーケットインによって市場が拡大するのは、消費者が新たな価値観を獲得して成長を続けるときのみである。

 今日のようにユーザーの無関心化が進むと、ユーザーのニーズをいくら調査しても、めぼしい答えは見つからなくなる。そうなればマーケットインは効力を失う。

 ■新たな価値観を育てる努力をしてこなかった

 日本経済の根本的な問題は、実は作り手の能力不足とは別のところにある。

 日本はバブル崩壊以降、消費者を文化的な面で育てることに完全に失敗した。というより、育てる努力すらしないできた。企業は消費者の関心の拡大、新たな価値観の獲得に注意を払ってこなかった。実はそれこそが日本経済衰退の真の原因だったのではないか。

 少なくとも今のマーケットの実態を見ていると、買い手側の文化的成長の停滞が市場の停滞に強くリンクしていることが、如実に感じられる。

 教育学者の神代健彦は、その著書『「生存競争」教育への反抗』で次のように主張している。日本では長年、生産能力の強化・効率化ばかりが訴えられてきた。しかし、モノ余りの時代は、例えば美的なものを鑑賞する感性を養い、「きれいなものが欲しい」といった気持ちが自然と湧いてくるような、消費者としての文化を育てるべきだった、と。これは、的を射た指摘だ。

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