「このままではだめだ…」均一価格の安さで感動を 「鳥貴族」大倉忠司社長

2016.7.31 17:04

 高校時代にアルバイトで飲食の世界のおもしろさに目覚めた鳥貴族の大倉忠司社長(56)。経験を積み、25歳でいよいよ独立開業した。(中山玲子)

 9・5坪からの出発

 高校を卒業して調理師学校に1年間通った後、大阪のイタリア料理店で社会人としてのスタートを切ったんですが、3年後、なじみになった焼き鳥店の店長に請われて、店のナンバー2として働くようになりました。

 店長はチェーン店から独立されて、私はその店にも通い、休みの日は手伝いに行っていたんです。そのうち「うちに来ないか」と誘われるようになって。将来はパブやレストランをやるイメージを持っていたのでお断りしていたんですが、「一緒に一大チェーンを作ろうよ。君とならできそうな気がする」という言葉に心を動かされたんです。

 ところが、次第に方針が合わないなと感じるようになった。店長は当初、従業員に「みんなで利益を分配して、みんなで大きくなろうよ」と言っていたんですが、どうも話が違うなと。それなら自分でやってみようと、25歳のとき東大阪市で9・5坪の焼き鳥店「鳥貴族」を開いたんです。

 「価格破壊」決意 背水の均一価格

 《1号店は学生アルバイト2人と踏み出した小さな一歩だったが、赤ちょうちんタイプの従来型焼き鳥店からの脱却、店舗のチェーン展開という大目標は、当初から見定めていた》

 焼き鳥店といえばおっちゃんが集まるイメージが強かったんですが、若者、女性も気軽に立ち寄れる店にしたかった。前の店のとき、カウンターが空いているのに「じゃあ、いいわ」と引き返す若いお客さんがいたし、「本当は女性同士でも来たいけど、目立つし入りにくい」と言う人もいた。わずか27席の店でしたがカウンターだけでなくボックス席も設け、従業員の服は法被(はっぴ)や作務衣(さむえ)じゃなくTシャツで統一しました。

 店名には、ちょっとしゃれた名前にというのと同時に、お客さんを貴族のように大切にもてなすという意味を込めました。丸みのある「鳥貴族」のロゴは、柔らかい印象で1度見たら忘れないようなものをと、自分でデザインしました。

 目指すは「焼き鳥業界のマクドナルド」。一大外食チェーンのマクドナルドはあこがれでしたし、学べるところは学びました。チェーン展開をするなら店長のキャラクターでお客さんを呼ぶような属人的な店作りではなく、システム化が必要だった。売り上げには痛かったんですが、従業員がお客さんにお酒をごちそうになることも禁じました。

 《開店当初は150円、250円、350円の3価格制だったが、1年後に「全品250円均一」に転換、インパクトを生み出した。平成元年には280円に改定したが、現在もこの価格を維持している》

 最初は鳴かず飛ばずで「このままではだめだ」と背水の陣で取り入れたのが均一価格でした。20歳の頃、友人に連れて行ってもらった学生街の炉端焼き店で「230円均一」をやっていて、安さに衝撃を受けたのが頭に残っていた。「価格決定権をメーカーから消費者へ」と新しいビジネスモデルを打ち出したダイエー・中内功さんの「価格破壊」という言葉へのあこがれもあり、紙に「価格破壊」と書いて店に貼り出しました。

 根底には、お客さんに感動してもらえるよう精いっぱいおもてなしをしたい、それで社会に貢献できたらという思いもあった。独立開業すれば「一国一城の主になれた」と感慨にふけるものかもしれませんが、私は「次はどうしようか」とばかり考えていました。

 創業から1、2年後、あるお客さんが電話で「今、トリキに来てる」と話しているのを聞き、「うちも愛称で呼んでもらうほどお客さんに親しんでもらえるようになった」とうれしくなったのを覚えています。今ではすっかり定着した「トリキ」は、お客さんが生んでくれた愛称なんです。

 おおくら・ただし 昭和35年2月、大阪府生まれ。高校卒業後、辻調理師学校(現辻調理師専門学校)へ進んだ。イタリアンレストランでの勤務などを経て、昭和60年に同府東大阪市で焼き鳥店「鳥貴族」を開業。翌61年に社名を「イターナルサービス」と名付けて法人化し、平成21年に「鳥貴族」と改称した。25年から大阪外食産業協会副会長。趣味は「お酒を飲むこと」という。

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