狂言界の第一人者として活躍した大蔵流狂言師で文化勲章受章者、人間国宝の茂山千作(しげやま・せんさく、本名・七五三=しめ)さんが23日午前0時15分、肺がんのため京都市内の自宅で死去した。93歳。通夜は26日午後7時、葬儀・告別式は27日午後1時、京都市左京区黒谷町121、金戒光明寺で。喪主は長男、千五郎(せんごろう、本名・正義=まさよし)氏。
大正8(1919)年、三世茂山千作さんの長男として京都に生まれ、13年に「以呂波(いろは)」のシテで初舞台。昭和41年に当主名である十二世茂山千五郎を襲名し、天衣無縫の芸と圧倒的な芸格で親しまれた。
戦後、狂言界が低迷するなか、父や弟の千之丞(せんのじょう)さん(平成22年死去)とともに学校巡演を積極的に行った。昭和29年には武智鉄二さん演出の「東は東」で女優と共演。その後も千之丞さんとともに異流派とも共演するなど、当時の能楽界のタブーを破りながらも狂言の普及に努めた。
平成元年に人間国宝となり、3年に日本芸術院会員。6年には長男に千五郎の名前を譲り、自身は隠居名の四世千作を襲名。その後も精力的に舞台に立ち、19年に狂言界初の文化勲章を受章した。