■「白門」の由来
「中央」の名は、増島などが学んだ「ミドルテンプル」の日本語訳「中央法院」によるとも言われているが、もう一つ中央大学を象徴する言葉に「白門」がある。といっても、実際に白い校門が立っていたわけではない。
大学史資料によれば、「白門」という言葉が最初に現れたのは、昭和の初年に歌われ始めた学生歌だった。後年、作詞者が語ったところによれば、「白」は白色の記章から、「門」は当時、他の大学でも自校を「○門」と呼ぶのに倣ったものという。同時期、応援団が作った応援用の小旗は「潔白を示す白でCHUOと染めた」とある。同窓会が「白門会」を名乗るようになったのもこの時期。
大学が公式に「白門」という言葉を使ったのは、通信教育部の機関誌『白門』(1949年=昭和24=年創刊)が最初で、翌年には♪草のみどりに風薫る 丘に目映(まばゆ)き白門を…と校歌の歌詞にも登場した。
<125年を超える歴史の中で培われてきた批判精神を忘れない自由な学風は「白門」ということばとともにいまも中央大学の中に確かに息づいています>(「2013-2014大学概要」から)
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