音楽販売権守り抜いたプリンス (1/3ページ)

2016.5.2 05:00

1990年のコンサートで歌うプリンス。楽曲の著作権やデジタル配信について自らコントロールできるよう、闘う姿勢を貫いた(AP)

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 音楽界のレジェンド、プリンスが4月21日、米ミネソタ州ミネアポリス近郊の自宅で亡くなった。享年57歳。彼は数百万人のファンだけでなく、音楽業界の慣習にも大きな影響を与えたアーティストだった。

 インターネット時代の幕が開けると、プリンスは自らの音楽帝国の支配権を握ろうと熾烈(しれつ)な闘いを繰り広げ、後に続くアーティストたちに戦略を残した。現在アデルやテイラー・スウィフトらのスターは自分の曲の販売方法について自ら決定を下しているが、プリンスがその道を切り開いたといえそうだ。

 ◆大きかった犠牲

 だがその一方で、プリンス自身は大きな犠牲を払った。楽曲の著作権をめぐりレコード会社と衝突したため、幅広いファンに自分の音楽を届けることができなかった。一時期「プリンス」という名前を捨て、代わりにシンボルマークを使って活動していたため、曲の宣伝も難しかった。資産価値1億ドル(約107億円)とされるプリンスの楽曲全ての著作権を誰が獲得するにせよ、プリンス本人が嫌っていた楽曲の販売方法を認めるかどうか、今後判断を迫られることになる。

 10年以上にわたってプリンスの代理人を務めたL・リー・フィリップス弁護士は「プリンスはとにかく人に利用されることを嫌がった。彼はアーティストが自分のために闘うという生き方を遺産として残したが、彼のパフォーマンスや演奏はそれ以上に大きな遺産だ」と語る。

 1990年代、プリンスは所属レーベル、ワーナー・ブラザーズを離れた。アーティストとして思い通りに活動できない不満から、「スレイブ(奴隷)」の文字を頬に書き抗議の意を示したこともある。2007年には違法にアップロードされた自分の曲が削除されないことを理由に、ユーチューブを訴えることを検討した。さらに、人気のあるストリーミングサービスでの配信を制限し、ほとんどのサイトから自分の曲を引き揚げた。

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