反体制評論家、胡平の文化大革命(文革)に関する本を読んで、習近平の父、習仲勲(1913~2002年)が「異なる意見を保護する法律」の制定を提唱していたことを知った。息子は父の主張をどのように受け止めているのだろうか。
胡平は1947年、北京で生まれたが、四川省の成都で育った。高校3年生のときに文革が始まり、造反派紅衛兵として文革に参加した後、農村での下放生活も体験した。文革後、北京大学で学び、米国留学中に天安門事件が起こり、そのまま米国に留まり、共産党と政府を批判する言論活動を行っている。
私が読んだ胡平の本は台湾で昨年夏に刊行された「毛沢東はなぜ文化大革命を起こしたか」で、文革に関する25編の文章が収められている。胡平は、異なる意見に寛容だった習仲勲を持ち出すことで、息子を批判しているのである。
習仲勲は1950年代から60年代にかけて、党中央宣伝部長や副首相などを務めたが、62年に反党活動を行ったとして失脚した。文革後に復活し、党書記や政治局員などを務め、87年の胡耀邦(当時、党総書記)失脚に際しては、胡耀邦を擁護し、胡耀邦を集中攻撃する他の指導者たちを厳しく批判した。
法律によって異なる意見を保護すべきという提案は、私が知らなかっただけで、たとえば、北京の月刊誌「炎黄春秋」(2013年12月号)に掲載された、習仲勲の生誕100年を記念する文章にくわしく記されている。