文革後、官僚集団も一般民衆も改革開放への政策転換を支持したが、それは同床異夢でしかなかったと楊継縄は指摘する。民衆は改革開放によって官僚制度のくびきから逃れることを望んだが、官僚たちは改革開放によって官僚制度をより堅固なものにしようとしたという。
文革の後半から今日まで、官僚制度の再構築、その強化が続いているというのが楊継縄の分析である。
毛沢東の遺産は極度の貧困と極端な専制支配で、これらの問題を解決するには経済と政治の改革が不可欠だったが、トウ小平は経済的改革だけを実施して、政治的解決を怠ったと楊継縄は主張する。トウ小平の改革開放は清末の洋務派の「中体西用」と同じであり、清末の中体西用が失敗したように、その現代版も結局は失敗するだろうと楊継縄はみている。(敬称略)