【評伝】西室泰三氏死去 「命懸け」経営、時代とずれも

日本郵政の社長就任会見に臨む西室泰三氏=平成25年6月20日、東京都千代田区(瀧誠四郎撮影)
日本郵政の社長就任会見に臨む西室泰三氏=平成25年6月20日、東京都千代田区(瀧誠四郎撮影)【拡大】

 3つの重責を担っていた平成27年夏の姿が記憶に新しい。社長を務めていた日本郵政などグループ3社の上場準備を進める一方で、戦後70年談話に関する政府の有識者会議の座長として、報告書の取りまとめに心を砕いていた。

 同時期には、かつて社長を務めた東芝で不正会計が発覚。相談役として社外取締役候補者らを説得し、経営を刷新した。79歳にして激務の後でも、毎日のように自宅近くで記者の取材に一人一人応じる姿はさながら“超人”のようだった。

 しかしその後、東芝は米原発子会社の経営でつまずき7千億円超の減損損失を計上、さらに窮地に追い込まれた。この原発子会社を18年に買収した当時の意思決定に、大きく関わったとされる。既に社長を退いていたが、影響を持ち続け、社内で「スーパートップ」と呼ばれていたほどだ。

 日本郵政社長としても、27年の豪物流会社買収を主導したが、その結果、約4千億円の減損損失が発生。今年、2つの巨額損失に関与したことが話題になり、大きな批判を浴びることになった。

 「私は命懸けでやっているんだ」。晩年、東芝の取材で訪れた同僚記者に覚悟を語ったこともある。しかし、相談役として長期間経営に関与する姿勢は、新しい時代のコーポレートガバナンス(企業統治)には合わなくなっていた。28年の日本郵政社長退任後は、表舞台に姿を現すことはなかった。(高橋寛次)

西室泰三氏死去 81歳 東芝・日本郵政社長を歴任