【高論卓説】人気取りの大学無償化 感謝忘れた若者の堕落が「人づくり」か (1/2ページ)

画像はイメージです(Getty Images)
画像はイメージです(Getty Images)【拡大】

 専修大に勤務していた18年間、私は2部(夜間)の講義を受け持っていた。苦学生の応援をしたかったからである。父親が苦学生であったがゆえ、親しみを感じながら、激励しつつ授業を担当した。

 「苦学」なる表現が死語になって久しいのは、世の中が豊かになったからだろう。だが、貧困で高等教育機関に進学できない若者は少なくない。そこで、各政党は「教育の無償化」を先の総選挙で声高に主張していた。大学教育の無償化は、私学経営者にとって有り難いが、経営が安直になるばかりか、質の低下を恐れる。授業料の値上げラッシュも続くにちがいない。

 人間は、本当に欲しいもの、本当にしたいことに対して、どんな苦労をしてでも実現させようと努力する動物であり、その個人差は大きい。しかも応分の対価を払わねばならない社会となっている。それなのに「無償化」。若者を堕落させ、親への感謝も忘れるであろう。

 大学への現在の進学率は52%、各政党は100%を目指しているのか、その数値目標を示していない。私たちの時代の進学率は10%であったが、よほど成績が良くないと奨学金を受け取れず、アルバイトが日常的だった。無償化にすれば、どんな社会現象が生じるのか、そのシミュレーションもなく、教育の機会平等を説くが、論点は多岐にわたり集約されていない。しかも3兆円弱の財源をいかに調達するのか、画餅に帰する議論で終わるような気がする。

 大学関係者が心配するのは、大学院生の待遇と研究力の強化である。各政党は、この件については触れておらず、将来の日本の国際的な競争力向上について思慮していない。つまるところ、人気取り政策でしかなく、過去の民主党の高校授業料無償化策に通じる。

政治の劣化は「一方的」にサービスを国民に押しつける