【専欄】党史研究者、何方の死 元滋賀県立大学教授・荒井利明

 2017年、中国で最も大きな出来事は5年に1度の共産党大会が開かれ、習近平第2期政権が発足したことだろう。今年亡くなった最も有名な中国人はノーベル平和賞受賞者の劉暁波だろう。だが、ここでは10月に94歳で亡くなった党史研究者、何方のことを書いておきたい。

 何方は1922年、陝西省に生まれ、38年に共産党の根拠地、延安に赴き、抗日と革命に参加した。49年の建国後は外務省で対ソ外交に従事したが、59年に失脚し、農村での下放生活を余儀なくされた。

 文化大革命後の70年代後半に名誉回復され、社会科学院日本研究所の所長を7年余り務めた。98年に引退した後は主に党史の研究を続け、「党史筆記」など党史に関する著作を数冊刊行した。どの著作も党史の真相を明らかにしたいとの思いで貫かれている。

 何方は亡くなる1年前に香港で出版された「党史真相」の前書きで、毛沢東は党への批判を歓迎すると語ったが、実際には歓迎することはなかったと述べている。だからこそ、毛沢東時代に多くの冤罪(えんざい)事件が起き、多数の幹部が誤って批判され失脚したのだった。

 何方はその前書きで、文革後にこれら失脚者を名誉回復、復活させた胡耀邦を高く評価している。だが、長老たちの反対で、胡耀邦は歴史の見直しを徹底させることができなかったとも指摘している。そのため、50年代の高崗(こうこう)・饒漱石(じょうそうせき)事件など、いくつかの重大な政治事件はまだ解明されておらず、名誉回復もなされていないという。

 何方はこの著書で、「中国の党史研究には虚偽、捏造(ねつぞう)がある」「党史研究では役に立つことが重視され、真実を求めることが軽視されている」と述べている。それは、党は偉大で指導者は正しいというイメージを維持するためであり、それに不利な史実や資料は隠蔽(いんぺい)され、また、廃棄された資料もあるという。

 何方は党史に関して、毛沢東ら指導者の見解が尊重され、それが結論になる研究のあり方を「人治」として批判している。これに関連して、「毛沢東が語った歴史には嘘が少なくない」という専門家の意見を紹介している。

 何方はその上で、資料の公開と言論の自由を主張している。だが当局は、毛沢東と共産党をゆがめて描いているとして何方を批判し、その死去も中国国内ではきわめて簡単にしか報じられなかった。(敬称略)