「国富論」でアダム・スミスが警告 国家による浪費を許す国民の"末路" (1/5ページ)

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 「神の見えざる手」という言葉で知られるアダム・スミスは、一部から自由放任主義の思想家だと誤解されている。だが主著『国富論』では、国家の役割について触れ、国家による「浪費」を警告している。元国税調査官の大村大次郎氏が『国富論』の内容を「超訳」で紹介する--。

 ※本稿は、大村大次郎『超訳「国富論」--経済学の原点を2時間で理解する』(KADOKAWA)を再編集したものです。

 国の浪費こそが国力を弱める元凶である

 前回は、国富論の大きな主旨として「モラルを守った上での自由な経済活動」があるということを述べた。

 国富論には、もう一つ大きな主旨がある。それは、「国による浪費」への警告である。

 国富論では、

 「各個人の浪費や不始末で、国全体が貧しくなることは決してないが、公的な浪費や不始末でそうなることはたびたびある」

 「そして、公的な浪費や不始末は、国民一人ひとりの忍耐によって償わされることになる」

 と述べられている。

 私的な浪費であれば、影響が及ぶのは、本人やその家族など、狭い範囲だけである。しかし、当たり前の話だが、公的な浪費は「国全体」に影響する。しかも、そのしわ寄せは全部、国民に行くということである。

 もちろん国全体が貧しくなり、国が傾くような事態に陥ることもある。だから国の浪費というのは、一番避けなければならないことなのだ。

浪費によって国が傾く…フランスの場合