2215試合連続出場の「鉄人」、衣笠祥雄氏が死去 「赤ヘル旋風」の立役者

世界新記録の2131試合連続出場を果たしファンの祝福に応える広島・衣笠祥雄内野手=1987年6月13日、広島市民球場
世界新記録の2131試合連続出場を果たしファンの祝福に応える広島・衣笠祥雄内野手=1987年6月13日、広島市民球場【拡大】

  • 死去した衣笠祥雄氏(撮影・中鉢久美子)
  • 広島時代の衣笠祥雄捕手=1965年8月
  • 国民栄誉賞の額を手に笑顔の衣笠祥雄(中央)。右はバットをもらった中曽根康弘首相(当時)。左は衣笠夫人の正子さん=1988年1月、首相官邸
  • 中日戦で連続試合出場2131試合を成立させ、中日・星野仙一監督(左)から花束を贈られる広島・衣笠祥雄さん=1987年6月
  • 第36回選抜高校野球で平安高校時代の衣笠祥雄さん(中央)=1964年3月24日、甲子園
  • 広島OBオールスターゲームで笑顔を見せる衣笠祥雄さん(右)と高橋慶彦さん=2008年12月6日、広島市民球場
  • 阪神宜野座キャンプで江夏豊臨時コーチ(左)と衣笠祥雄さん=2015年2月3日、宜野座村営野球場(撮影・安部光翁)
  • 世界新記録の2131試合連続出場を果たし、記念の数字の入った花輪を手にファンの祝福に応える広島・衣笠祥雄内野手=広島県・広島市の広島市民球場(撮影日:1987年06月13日)
  • 広島時代の衣笠祥雄さん=1984年7月
  • 広島時代の衣笠祥雄さん=1986年12月
  • 5度目のセ・リーグ優勝を決め、胴上げで宙に舞う広島・衣笠祥雄さん=1986年10月12日、神宮球場
  • 大洋戦で現役最後となる通算504号本塁打を放つ広島・衣笠祥雄さん=1987年10月22日、横浜スタジアム
  • 1987年6月、試合終了後、「2131」を記した花輪を手に観客の祝福に応える衣笠祥雄選手=広島
  • 1975年10月、リーグ初優勝を飾り祝勝会で大喜びの衣笠祥雄選手(左)、山本浩二選手(右)と古葉竹識監督(中央)=東京都内のホテル
  • 1996年1月、藤田元司氏(右)とともに野球殿堂入りが決まり、笑顔で握手する衣笠祥雄氏=東京都文京区

 プロ野球広島で中軸打者として活躍し、プロ野球記録の2215試合連続出場で「鉄人」と呼ばれ、国民栄誉賞を受賞した衣笠祥雄(きぬがさ・さちお)氏が死去したことが24日、関係者の話で分かった。71歳。京都府出身。

 京都・平安高(現龍谷大平安高)で1964年、捕手として甲子園大会に春夏連続出場。65年に広島に入団し内野手に転向。75年はセ・リーグ初優勝に貢献し「赤ヘル旋風」を巻き起こした。76年に盗塁王。84年に打点王で最優秀選手に選出され、日本一にも輝くなど広島の黄金期を支えた。プロ6年目の70年10月から87年に引退するまで、2215試合連続出場。87年に王貞治氏に次いでプロ野球2人目の国民栄誉賞。96年に野球殿堂入りした。背番号「3」は広島の永久欠番。

 通算成績は2677試合で歴代5位の2543安打、歴代7位の504本塁打、歴代11位の1448打点、打率2割7分。ベストナイン3度。オールスターゲーム選出13度。

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