日銀元総裁、松下康雄氏が死去 超低金利政策を導入

1998年3月、辞任が決まり、最後の定例記者会見をする松下康雄日銀総裁。右は福井俊彦副総裁=日銀本店
1998年3月、辞任が決まり、最後の定例記者会見をする松下康雄日銀総裁。右は福井俊彦副総裁=日銀本店【拡大】

 日銀の元総裁で、元大蔵事務次官や旧太陽神戸三井銀行(現三井住友銀行)会長なども務めた松下康雄(まつした・やすお)氏が死去したことが24日、分かった。92歳。神戸市出身。死亡日時や死因など詳しいことは分かっていない。

 東大法学部卒業後の昭和25年に大蔵省(現財務省)に入り、官房長、主計局長などを経て、57年に事務次官に就任。その後、太陽神戸銀行に転じ、62年頭取。平成2年には、当時の三井銀行との合併を断行し、新銀行の会長に就任した。

 6年には代表取締役相談役となり、同年12月、任期切れで退任した三重野康総裁の後任として、第27代日銀総裁になった。

 7年9月には公定歩合を当時としては過去最低の年0.50%にまで引き下げ、超低金利政策に踏み出した。10年に入ると大蔵省や日銀を巻き込んだ金融接待汚職事件が発覚。日銀でも幹部が逮捕されたほか、多数の処分者を出すなどし、総裁の責任論が急浮上。同年3月、任期半ばで引責辞任することになった。