戦時の「実は…」が語られる契機とは 歴史に馴染む素養として考えてみる (1/3ページ)

【安西洋之のローカリゼーションマップ】

 毎年日本では夏になると、第二次世界大戦中の「実は…」が語られるようになる。正確にいえば、夏を問わず「実は…」を語る人がいるのだが、それらの「実は…」が一斉に報道されるのが夏である。

 今夏も、召集令状の赤紙を配布していた人の記録が本人の希望で公開されたことや、満州国からの引き揚げに際し、小さな妹や母親が毒殺されるのを眺めているしかなかった人の悔やみを語った記事を目にした。

 「実は…」は季節を変え、欧州戦線における経験談にもある。特にドイツのヒットラー政権時の「抑圧した側」と「抑圧された側」の両方の「実は…」は関心を集めやすい。

 戦時はある程度の期間を伴うので、自然災害の場合の「実は…」と異なる。また自然災害に反対も賛成もないが(自然災害という名の人災、ということもあるが)、戦争には政治的な信念や思想が入ってくるので、「実は…」の語られる内容やタイミングは微妙だ。

 多くの人の命を奪うことに加担した事実はできるなら黙っていたい、と思うのは当然だろう(だからこそ、早く話したいということもあるが)。あるいは抑圧された立場であっても、その悲惨な光景を思い出したくない、忘れたいとの一心で、誰にも話さないと心に決めた人も多いだろう。

 学徒出陣で中国の戦場に出向いたぼくの父親にして、90歳を過ぎてこの世を去るまで、戦時中のことは殆ど家族に話さなかった。しかし、同世代の叔父さんは、南洋で船が撃沈され後、一昼夜、海に浮いていたところを助けられたエピソードをよく話した。が、やはり話すのはそのシーンだけで、それ以外の場面ではない。

語られる「経験」の種類が変わってきた