【高論卓説】声高なだけ…“世論”とは言えず ネットが生んだ“口うるさい少数派” (2/3ページ)

企業戦略コンサルタントの芝蘭友氏
企業戦略コンサルタントの芝蘭友氏【拡大】

 記憶に新しいところで言えば、二宮金次郎の銅像が立ったまま本を読んでいる姿である。これは、子供に「歩きスマホ」を助長させるという理由で、批判を浴びた。子供たちをあまりにも信用していない大人が多すぎるのではないか。本質が失われた形だけを残すことに意味があるのだろうか。

 子供たちにアンケートをとって「座像にした方がいいと思うか」と聞くと、案外、座像にならずにすんだ二宮金次郎像もあったかもしれない。時代背景、制作者の意図が読み解けない形ばかりを追いかける風潮を懸念する。

 日本には文脈を楽しむ文化が確かに存在した。空気を読むということは、作り手の背景を読むことでもあり、それを理解する受け手の知識が試される。茶道、華道、日本の庭園には、日本人の魂が宿っている。教養がなければ、なぜそこに、今、その花が生けてあるのか分からない世界である。

 見えない空間や文脈に魂を宿す文化を持つ日本人が、目に見える形だけを大きく取り上げて騒ぎ立ててはいないか。先日、不謹慎狩りの憂き目にあった「ダムカレー」も正義と正義がぶつかった事例であろう。土木技術者が「崩壊をイメージさせる。実に不謹慎だ」と怒りをあらわにした。日本ダムカレー協会は「地元の人が町おこしのために考案したものだ」と反論すると批判した記事は取り消された。正義は立場によって変わる。

「ガンダムが斬新だったのは…」