【震災遺構のいま】教訓、1000年先まで 10日に公開、気仙沼向洋高・旧校舎 (3/3ページ)

震災遺構として一般公開される気仙沼向洋高の旧校舎。今も津波で流された車が教室内に残る=宮城県気仙沼市(川口良介撮影)
震災遺構として一般公開される気仙沼向洋高の旧校舎。今も津波で流された車が教室内に残る=宮城県気仙沼市(川口良介撮影)【拡大】

 防砂林として地区を守っていた松林も津波で流されるなどし、震災前を思い出させる風景は、ほとんどなくなった。その中で唯一残されたのが、旧荒浜小だ。

 児童らは上階に避難して無事だったが、2階まで押し寄せた津波は、壁などを壊した。校舎は29年4月に遺構として整備された。

 津波の脅威を伝える展示や地区の歴史を紹介するコーナーなどがあり、観光客らに教訓を伝えている。この2年ほどで訪れたのは14万人にも達する。

 一方、住民は曲折をたどった。被災当初は「荒浜再生を願う会」を立ち上げ連携を図ったが、メンバーの高齢化などから昨年解散。地区内でのイベントを企画したり、荒浜小で「語り部」を続けたりする住民もいるが、震災前にあった「隣近所」の一体感は次第に薄れてきている。

 さらに、地区には、今後公園や津波避難拠点の丘などが整備され荒浜の面影は一層失われていく。残るのは、旧荒浜小だけだ。「小学校には地域の思い出が詰まっている。震災の教訓とともに、一緒にここで、みんなが暮らした荒浜があったということを忘れない場所にしてほしい」。庄子さんは力を込めた。