「反社会的勢力」定義あいまい 揺らぐ金融業界のコンプライアンス

2013.11.22 06:00

 みずほ銀行が系列信販のオリエントコーポレーション(オリコ)を通じた提携ローンで暴力団関係者に約230件の取引を行った問題が、日本の金融業界全体の問題として波紋を広げている。金融庁は3メガ金融グループに一斉検査を行い、国会は金融関係者の参考人招致を実施。金融業界の「コンプライアンス(法令順守)体制」のあり方が改めて問われている。ただ、融資の現場では審査の限界や線引きの難しさもあり、問題の抜本的な解決には、官民の連携徹底による体制構築が欠かせない。

 雨後のタケノコのように…

 「はなはだ望ましくない話だ。みずほの対応の仕方を十分検証していく」

 金融行政を所管する麻生太郎・財務相兼金融担当相はこう述べ、みずほの問題に不快感をあらわにした。

 今回の問題で最大のテーマとなるのは、なぜ暴力団関係者ら「反社会的(反社)勢力」に融資をしてしまったのか、という点だ。同様の問題融資が発覚したのはみずほグループにとどまらず、雨後のタケノコのように他のメガ金融グループでも次々と発覚した。

 三菱UFJフィナンシャル・グループも、傘下の消費者金融アコム、信販大手ジャックスで問題融資が発覚。三井住友フィナンシャルグループでも、系列の信販セディナが審査した提携ローンに「反社会的勢力と認定しきれないあいまいなものも含まれる」(宮田孝一社長)と明らかにした。

 13日に行われた衆院の財務金融委員会では、参考人招致されたみずほの佐藤泰博頭取と三井住友銀の国部毅頭取が、両行本体での取引にも反社勢力と疑われる取引先があると発言。問題はさらに広がりを見せた。

 難しい取引解消

 実は、「反社勢力」の定義はあいまいなうえ、バラバラだ。金融庁の監督指針では、「暴力、威力と詐取的手法を駆使して、経済的利益を追求する集団または個人」。一方、警察庁は暴力団組員と脱退5年未満の元組員とし、データベースに蓄積している。

 問題が発覚したみずほ銀では、「取引にふさわしくない先を排除し、不良債権やトラブル発生を未然に防ぐ」のを目的に、詐欺などの金融犯罪も含めたより幅広い情報を独自に収集し、データベースを構築。仕組みとしては「充実したチェック体制」を取っていた。にもかかわらず、なぜ反社勢力に融資してしまったのか。

 佐藤頭取は13日の国会審議で、取引開始時は「排除を徹底しているので(反社勢力は)入らない」と明言。だが、取引開始後に融資先企業に反社勢力が加わったことが、新たな情報で判明した例があるとした。国部頭取も「入り口で反社的勢力でなくとも、その後認定されることもある。大変センシティブな問題」と対応の難しさを強調した。

 実際、業務改善命令で発覚したみずほ銀の提携ローンの反社取引230件のうち、警察が最終的に認定した組員融資は現時点では1件のみ。金融機関が反社勢力との取引を解消する「暴力団排除条項」を導入したのは数年前で、導入前の取引解消には、反社勢力である客観的な証拠も必要で、現実には難しい。

 佐藤、国部両頭取が強調したように、金融機関は融資後に相手が反社勢力と判明する場合がある。このため、反社勢力と取引があること自体で金融庁の処分対象になるわけではない。問われるのは金融機関が暴排条項導入や監視態勢を整えているかどうか、だ。

 審査には“甘さ”も

 だが、融資の審査に“甘さ”がある現実は、数字でも浮き彫りになっている。

 みずほ問題を受け、日本クレジット協会が加盟信販会社などを対象に10月に実施したアンケートによると、回答企業332社のうち27・7%が反社勢力に関する情報の収集を「現時点ではしていない」と回答。顧客に反社勢力が含まれていることが判明した場合の対応についても、16・6%が「明確に規定されていない」と回答した。

 協会では、全国暴力追放運動推進センターが持つ反社勢力の情報を基に、来年春をめどにデータベースを構築する方針。契約後に反社勢力と判明した融資の契約解消についての対応もルール化する構えだ。

 反社勢力をめぐるコンプライアンスの問題ではかつて、1990年代に株主総会での総会屋が問題となった。みずほ銀行の前身のひとつの第一勧業銀行では、総会屋への巨額融資事件が発覚した過去もある。

 企業コンプライアンス問題に詳しい元検事で弁護士の郷原信郎・関西大特任教授は「一切の関係遮断で反社会的勢力を排除する、暴力団関係者への『ヒト・モノ・カネ』の供給の途絶を図るシステムの構築に取り組むには、官庁・企業など社会内の組織すべてが連携して取り組まなければならないはずだ」と指摘。

 そのうえで、「今回のみずほ銀行の問題も、反社との関係途絶に向けてのシステム構築に関して銀行の対応が問われたもので、『反社向け融資を放置した』という単純な問題ではない」としている。(西川博明)

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