親になることで幸福感が損なわれる「親ペナルティ」 40歳からの子育てに覚悟はあるか

提供:PRESIDENT Online
写真はイメージです(Getty Images)

 子育ては美しい話ばかりではない。社会的に責任を負い、何かと時間がなくなり……と、親になることで幸福感が損なわれる面もある。現代日本では少子高齢化が進んだ結果、30代後半や40代で初めての子どもを授かり、育てる男女も増えている。40代の子育ては、20代の子育てよりも幸せなのだろうか……?

 社会学に、「親ペナルティ」という言葉がある。子供を持つ夫婦と子供を持たない夫婦がそれぞれに感じる幸福度のギャップのことで、一般的に幸福度は「子供を持つことによって下がる」と言われる。

 この親ペナルティは、政府の子育て支援が薄い国では最大の傾向を見せ、特にアメリカで顕著なのだという。立命館大学教授・筒井淳也氏は「日本の公的な家族支出はOECD諸国でも最低レベルであり、アメリカに近い状態にあるとしてもおかしくはない」と論じている。(現代ビジネス「なぜ日本では『共働き社会』へのシフトがこんなにも進まないのか?」 http://gendai.ismedia.jp/articles/-/49532)

 日本の「親ペナルティ」は、先進国の中でもかなり大きいと推定されるのだ。

 一方で、日本では、共働き世帯が専業主婦世帯を上回ってマジョリティーとなっている。男女共同参画白書(平成27年版)によると、「男性雇用者(農林業を除く)と無業の妻(専業主婦)からなる世帯」が720万世帯、「雇用者(農林業を除く)の共働き世帯」が1077万世帯となっている。(参考:http://www.gender.go.jp/about_danjo/whitepaper/h27/zentai/html/zuhyo/zuhyo01-02-09.html)

 日本では「共働き化」が見られるにも関わらず、それをライフスタイルとして容易化する受け皿としての「共働き社会化」が進まないことが現代のホットな論点ではあるのだが、それは別の機会に譲ろう。この共働き化と並行する形で進んでいるのが、晩婚・晩産傾向だ。かつては女性の高齢出産とされた35歳での出産は、今では珍しくもなんともない。30代や40代の不妊治療を乗り越えて、念願の子供をもうけるカップルも大勢いる。

 「親ペナルティ」とは、まさに米国で共働き化が進行したにも関わらず政府の子育て支援の“手薄さ”によって最大化する、子育てのしづらさ、親としての生きづらさに起因して顕在化したものだ。まして価値観の「共働き社会化」さえ進まない日本においては、親ペナルティの重さたるや、いかほどか。

 いま、その親ペナルティを晩産傾向や不妊のために40代で負う人たちが少なくない。さて、余計なお世話と重々承知しつつ、今回の「脳内エア会議」のお題は、「経済的、キャリア的に成熟し自立した40代で負う親ペナルティは、20代・30代に比べて軽くなるだろうか、それとも重くなるだろうか?」です。

 保育園へ向かう坂道

 私の家の前の坂道は、地域でも評判のいい、丘の上の保育園へと通じている。平日の毎朝、自営業者の私がそろそろメールチェック(やネットショッピングでの無駄遣い)でもしようかとノートパソコンを開ける頃、開けた窓から小さな子供と、その子を前かごに乗せた自転車をうんうんと押して坂道を登っていく母親の会話が聞こえてくる。

 「あのね、○○君は玉ねぎが嫌いだけど、僕は食べられるんだよ」「そうね、玉ねぎ入ってても大丈夫だもんね。じゃあ今日の夜はハンバーグにしようか。夕飯まで楽しみに待っててね」「うん、僕ちゃんと待ってるよ、夜のおやつのあとは先生と○○君とお絵描きしてる」

 ああ、今日はあの男の子の調子が良くてよかったね、大きくなったなぁ、そんな風にそっとエールを送りながら、私は名前も知らない親子を心の中で見送る。1年前、その子は母親と離れたくなくて毎朝大泣きしていた。自転車に乗せられた男の子の鳴き声がだんだん近づいて、やがて坂道を登って遠ざかっていくのを、「救急車のドップラー効果みたいだなぁ(違うけど)。お母さんも男の子も、頑張れ」と思って見送っていた。

 お母さんは40手前くらいで、小柄で落ち着いたひとだ。いつも私がひそかに感心するほどの冷静さと、論理的ながら子供の気持ちを巧みにくみ取る会話で、男の子の情緒を安定させて平和な朝を送っている。時々、おばあちゃんや、40代と思われるお父さんが送る朝もあって、お父さんは少々不慣れなのかえらく冗舌で、なんだか説得めいている。「○○君、今日は保育園頑張ってね。先生の言うことをちゃんと聞いて、お友達と仲良くするんだよ。給食もなるべく残さないようにしようね。パパもお仕事頑張ってくるからね」と。

 親力とは、持てるものを全投入した総合力だ

 「保育園頑張って」というフレーズに疑問を挟む人もあるだろうが、私も昔そういう切ない日々を送っていたから心の底からよく分かる。「保育園頑張れ、頑張ってくれ」としか表現しようがないくらい、保育園に子供を送る親の心境は祈りに近いものがある。保育園への道は、子育ての中でも象徴的な場面だ。

 朝泣いてぐずって道に座り込む子供に何度も声をかけ、自分の出社時間を気にしながら時計をチラチラ見て、懸命になだめ説得して、最後は親が自分と子供の大荷物を肩に無理やり掛けて、米袋より重い子供をキレ気味に抱きかかえて連れて行く。抱きかかえられる相手なら、あるいは一人ならまだいいほうだ。暴れ逃げまわるやんちゃ者だったり、しかもそれが2~3人のきょうだいだったり、登園途中に途方に暮れている親がたくさんいる。

 親力なるものがあるとすれば、それは知力だけでも体力だけでもない、持てるものを全投入した総合力だ。だから痛い目をたくさん見て知恵を巡らせた親たちは、いっそ泣く暇もなく勢いで連れていってしまえと、前にも後ろにも子供を載せるカゴがついた電動自転車を「一家に一台」状態で所有して移動に大活用し、あるいは保育園近隣の住民に散々嫌味を言われながらも自家用車で子供を送るのだ。

 「子供を泣かしっぱなしにする親はマナー違反で無責任」だと? 「最近の親は自分のことばかり、大人の都合で子供を振り回さないであげて」だと? 「そもそも子供を産むのだって親の都合のくせに」、だと? 振り回されているのも、泣きたいのも、自分のことなんか朝食どころか身なりを整えることさえままならずボロボロで出社して、朝から晩まで働いた後にまた子育てと家事の続きをし、「自己都合で子供をこの世に送り出した」責任を全うするのも、親のほうだ。

 ……なんて、もちろん大人だから思っても言わない。ぐっと言葉を飲み込む。

 今まさにそういう思いをしている子育て中のお母さんお父さんに向けて、20代前半と早くからの20年間をどっぷりと子育てに費やした私は、今はただ「頑張れ、いつか必ず手は離れる。そうしたらウソみたいに楽になるから」と念を送っている。だって、こんな不確実な世の中で確実に右肩上がりなものなんて、子供の成長くらいだから。

 親になったがゆえに幸福感が損なわれる「親ペナルティ」

 だから初めて親ペナルティという言葉を目にした時、わが意を得たりと感じた。親になるとは、生き物を育てるということだ。でもペットを飼うのとは違い、人間一人育てるということには、社会的な意味や責任がもっともっと大きい。だからライザップじゃないが、どんな親だってそれぞれの姿勢やアプローチで結果にコミットする。コミットしていないわけがないじゃないか!

 「子供に教えられる」とか、「子供の存在に支えられる」とか、「子供を育てるとは、自分を育てること」だとか……子育ては美しい話、いい話ばっかりじゃない。もちろんそれもあるし、大きい。子育てする親は自分にそう言い聞かせるものだけど、でもやっぱりそれだけじゃない。

 「(自分だけではない、社会の準備不足もあって)思い通りにならない」が「自分には責任がある」、その焦燥が“ペナルティ”という感じ方になっても、私は責める気持ちには全くならないし、心底共感する。この、社会的風習やら画一的な良識やら「暗黙の了解」やら同調圧力やらであれこれがんじがらめの国では、親になることで幸福感が低減することは“当然”実際にあると思う。みんな「良識」が大好きだから、あまり大きな声でそう言う人はいないけれど、それが私の偽らざる感想だ。

 「余裕はある、だが体力はない」40代たちが挑む社会実験

 最近、周囲の同世代、アラフォーの妊娠や出産が相次いでいる。20歳前半で子どもを産んだ私は彼らのそれまでの祈りや苦悩を思い、心から祝福の言葉を送りながら、ぼんやりと「40代で幼い子供を育てる彼ら・彼女たちは、親ペナルティをどんな風に感じるだろう」と思った。

 経済力も知恵もあるから、さまざまな問題に余裕を持って対処できるのだろうか。やっとの思いで授かった子供相手なら、感謝こそすれ、どんな局面でも感情的になどならないで済むだろうか。総じて「ペナルティだなんて毛頭感じない、幸せな子育て」だろうか。意地悪ではなくて、純粋な疑問が湧いた。彼ら40代の子育ては、私の葛藤にまみれた20代の子育てよりも容易で幸せだろうか。

 経済的にも精神的にも余裕はある、ただ否定しがたく体力はない。知恵も知識もある、ただ否定しがたく時間はない。42歳で子供を授かった友人は、子供が大学進学の年に定年で、子供が30歳の時に72歳だ。……その頃、少子高齢化がさらに進行して幹の細った日本社会では介護や社会保障ってどんなシステムになっているんだろう。

 親が高齢であることで、子育ての質が変われば子供の質も変わる。実際、親が高齢だと子供の運動量が少なくなる傾向にあると言われ、それは現在43歳の自分の体力不足・運動不足ぶりを省みれば仕方のないことだと思う。また、それに関連して「父親が高齢であるほど息子がギーク(オタク)になる傾向が強くなる」との海外研究も話題になった。(GIGAZINE「父親が高齢であるほど息子はギークになる傾向が強くなることが判明」 http://gigazine.net/news/20170622-older-father-geekier-son/)

 収入やポストの高い親が育てることで、より高い教育や高い視点、広い視野を与えることができることが一因と考えられ、相対的に能力の高い子供が育つ、高齢育児のメリットとも考えられる。しかし一方で「両親の年齢の高さと自閉症、統合失調症の症状と『ギーク』な子どもたちが典型的に持つ性格との関係性も暗に示されている。(中略)研究チームはギークさと自閉症に関する遺伝子には共通する部分が存在しているとみており、これらの遺伝子は年齢を重ねた父親において出現する傾向にあると考えている」(同記事より)。

 男性も女性も労働に組み込まれるのが当然視される社会は、「新しいタイプの子供を生み出すフェイズ」「新しい仕組みの社会」へと必然的に突入する。さて、それは具体的にどんな世界になるのだろう。これは、21世紀の先進国が皆その渦中にある、壮大な社会実験なのだ。

 (フリーライター/コラムニスト 河崎 環)

Read more