【海とヨットと】スポンサー30社と「夢」共有

2010.2.6 05:00

「アメリカスカップ」への参戦には莫大な費用がかかる

「アメリカスカップ」への参戦には莫大な費用がかかる【拡大】

 1988年夏、地中海の高級リゾート地サルディニアでは12メートル級ヨットの世界選手権が行われていた。その場所で、大会の取材に集まっていた記者団に対し、日本外洋帆走協会(NORC)から次回アメリカスカップ(ア杯)への挑戦が発表された。

 山崎達光をチェアマンとするシンジケートが結成され、「ニッポンチャレンジ・アメリカ杯1992」と名付けられた。挑戦コンセプトは「日本人はエコノミックアニマルではない。夢と勇気を持った血のかよった人間なのだ」というもの。バブル景気の最中、世界の日本人観を変えることだった。そのために巨費と膨大なエネルギーを費やし、目指すものは100ギニ-のトロフィーただひとつ。

 挑戦表明はしたものの、果たして資金は集まるのだろうか。山崎は後になって、「ア杯挑戦はジェットコースターに乗っているようだった。至福の時と、苦しみの時の連続だった」と述懐している。

 山崎は、船外機や舟艇の製造で日本のマリン業界をリードしていたヤマハ発動機の社長、江口秀人を訪ね協力を要請した。江口もまた“熱”の人だった。2人の手は固く結ばれた。ヱスビー食品とヤマハ発動機からの出資をシードマネーとして活動は軌道に乗った。1億円×30社。1業種1社。30億円の資金集めが開始された。

 「アメリカスカップ?」「ゴルフの大会?」…

 苦しい時が続いたが、徐々に賛同する企業は増えていった。自動車、保険、証券、出版、小売り、化学、鉄道、海運、航空、食品、飲料など。スポンサー30社はまさに同じ夢を共有する異業種集団であり、強力なニッポンチャレンジの応援団と化した。

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