■挿話はまるごと昭和芸能史
著者は、演劇、文楽、落語、映画、テレビ…芸能で括(くく)られる分野もろもろを語って今、天下一の人である。
喜劇王と呼ばれたエノケン(榎本健一)・ロッパ(古川緑波)の芝居に触れたのが小学生、中学生になるや旧帝劇で藤原歌劇団のオペラ「オネーギン」を見、悪友に誘われ浅草通いを始め、女剣劇の浅香光代が着物の裾をまくってみせるチラリズムに思わずツバを飲み込む。先輩の小沢昭一が文化祭で演じた落語を聞いて感動し、肩下げ鞄(かばん)姿のまま、寄席の木戸をくぐる。この半端じゃない芸能観察者としての履歴が博覧強記な著者の礎(いしずえ)だ。しかもその後、ことごとく当時の俳優や演出家など関係者と交遊を結ぶことになり、そこから語り出されるエピソードの数かずの面白さは、評論として箴言(しんげん)に富み、人物論では可否ほどよいゴシップに耳目を驚かされる。加えて、“意地汚い酒呑(の)み”と自嘲するより自慢気に映る酒肴(しゅこう)に纏(まつ)わる蘊蓄(うんちく)が一頭地を抜く。それもこれもみな、面白いモノを見た後に呑みたくなる酒なのだ。